12月11日 利川先輩って、こうして見ると改めて女子人気ありますよね…。
|
(世界の滅亡が迫っても日常生活は滞りなく進んでいくのだから不思議なもので。最悪の選択を突きつけられた満月の夜を越え、全員での話し合いを経た更に翌日。終業のチャイムが鳴った放課後に帰り支度を済ませた足で糸川が訪れたのは、普段であれば滅多に寄り付くこともない三年のクラスが並ぶ廊下だった。この時期は受験前で尚且つ試験前ということもあり、行き交う上級生たちに階下とは異なる空気を感じて気後れしそうになるが、意を決してA組から出てきた女子生徒のグループを捕まえたなら「利川先輩を呼んで貰えますか」と取次ぎを願い出る。彼女らが此方を見る怪訝な目になんとなく針の筵のような心地を覚えつつも、一先ず探し人が姿を現し次第、無意識に硬くなっていた表情を緩めながら駆け寄って)突然押しかけてすみません。その…、用事がなくて、迷惑でもなかったら……たまには一緒に帰りたいなって…。(居心地悪さのあまり早急に用件を伝えてしまいたかったのか、躊躇いながらも率直に告げた提案は何時になく人目を憚る気配のない其れ。見上げる形で相手の返答を待とうとしたものの、自分でもはたと誤解を招きそうな発言だったと気づけば、慌てて頭を振り)べ、つに、先輩と二人きりで話したかったとかそういうことじゃないですよ? 今日は年上の人と行動すると吉らしいから……だからです。(日頃全く気にしていない運勢占いの文言を引き合いに出してはみたが、結局は墓穴が深まるだけだと思い至れば自分のままならなさに頭を抱えたい衝動にかられる。あの夜以降、何が進展するわけでもない距離感を維持出来るだけで充分だと思っていたが、ここに来て心境が変化した理由などひとつしかない。故に彼の反応を窺おうと注ぐ視線には幾分切実な色も混じっていて)
|
そ?……でも綾ちゃんが妬いてくれるなら、それもイイかもネ。
|
(“死”について考える機会など余程の事がない限り人間の一生の中でもそうは無い。それも十代となれば尚更触れる機会など少ないだろうに、然し利川は其れを既に二度経験していた。一度目は数ヶ月前の真円の夜。そして二度目は数日前に目覚めた“母なるもの”の存在により。滅びを確約されて尚人々は、世界は、あの場に居た仲間たちだけを残して何も知らずに廻ってゆく。――記憶を共有する仲間たちとの話し合いを経て迎えた翌日、然し此の日も利川は常と変らぬ様子にて。終業を告げるチャイムが鳴り響けば周囲は忽ちの内に帰り支度を始める生徒たちの喧騒に包まれ、利川もまた早々に寮へと引き上げラウンジでも居座ろうかと立ち上がろうとした刹那「リカ、あんたって彼女居たっけ?」と掛けられた言葉はクラスメイトの女子により。身に覚えはな くもないけれど、己の影と対峙した数ヶ月前からは以前のように周囲の人間を飽きただなんだととっかえひっかえするようなことはしなくなくなったから誤解を生むような事も無くなった筈だし、それじゃあ一体誰だと緩く首を傾げつつ扉の方を見遣れば、其処に見えた姿に微かに双眸見開いて――「ワリ、そーいうワケだから帰るわ。」鞄を引っ掴んでは足早に彼女の待つ方へと足を進めよう。 告げられた言葉に薄青を見据えてきょとりと瞬いたのはほんの一瞬、続けられた言葉が彼女なりの照れ隠しであるという事はもう既に知っているからこそ、其の表情の中に真剣な想いを見てはふっと表情を和らげて。)わかってるっつの。……ケド丁度よかったぜ、俺も綾ちゃんと一緒に帰りたいって思ってたからサ。――行こうぜ。ココだと人目もあるしよ、……詳しいハナシは二人っきりになれるトコで な。(何処か落ち付きの無い彼女の様子と教室や廊下に響く喧騒に気付いては、彼女の耳元まで屈んで囁いた台詞は此処からの撤退を促すもの。そうして踏み出した足は少しでも彼女と長く共に歩いていられるように、何時も以上にゆっくりと進めて行こう。――思えば彼女とこうして二人きりで話すのはあの満月の夜以降になるだろうか。胸中巡る感情は様々、こんな時にばっかりさて何から切り出すべきかと迷う間にも沈黙は広がる一方で、気持ちを整理する為にも今にも雪が降り出しそうな曇天を仰いでは、ぽつり、自然と言葉が落ちた。)そういやサ、ずっと言えなかったんだケド………ウマかったぜ、ブラウニー。今まで食べた中で一番。綾ちゃんってば料理上手だったのネ。(其れは気恥かしくて、機会もなくて、ずっと言えずに胸に仕舞っていた言葉。隣に居るであろう彼女へと今一度視線を向けては薄く笑う、鞄を担ぐ利川の右腕にはあの時からレザーウォッチが光っていた。)
|
先輩が良くてもあたしは――っ…て、違います。妬いてるわけじゃ…。
|
(永劫を失くした世界は怖いぐらいに平常通り。少し目を背ければ死の予兆など消えてしまいそうですらある。しかし一度知ってしまった真実は心に掛かり続けて拭い去る事など出来ず、ふとした瞬間この安寧とした日々に小さく爪を立てるのだ。例えばそれは毎夜零時を迎えた瞬間や、随分と増えた寮の空室を見る時、それから――彼との関係について考えた時にも。刻一刻と進む時は待たず、急かされる思いのまま唐突に訪ねてしまったが、向き合った彼は特段気分を害した様子もなく理解を示してくれる。一方で己は何故こうも捻くれた物言いしか出来ないのかと煩悶を繰り返していた最中、耳に触れた囁きにぱっと上げた表情は動揺に彩られ、次いでしおらしく口を噤めば頷くだけで同意を示そう。他意ない二人きりも、彼が言うと妙に慣れた睦言のように聞こえてしまうのはきっと気のせいだと自制に努めつつ、相変わらず容易く隣に並べる歩調にて辿り始めた帰路。いつになく乏しい口数に此方もなかなか沈黙を破れずにいたが、予想外の方向から切られた口火に思わず碧色を見返し)一番だなんて大袈裟ですよ…普段食べてるのってお店のとか市販品でしょう? けど、褒めて貰えるのは嬉しいですし、先輩の誕生日をちゃんと祝えて良かったです。(世辞ではなく純粋な称賛だと分かる声音に照れ半分事実半分の否定を紡ぐが、人に贈り物をした経験が少ないだけに安堵と喜びもまた胸へと浮かぶ。自分は彼から与えられるばかり、受け止められるばかりだから、ささやかでも何かを返すことが出来たなら満足だとはにかみながら小さく微笑んで。やがてゆっくりとした歩みが玄関から外の地面を踏む頃には、白いものが舞い始めた鈍色の空を仰ぎ見る)――雪、降ってきましたね。…次の春が来ないかもしれないなんて…嘘みたい。(僅かな物寂しさを乗せ呟いた一言は密やかに。続く未来を諦めたわけではないけれど、覚悟もないままその時を迎えるのは後悔を生むばかりだと思われた。だから視線を雲の合間から傍らへと戻すと、そっと首を傾げ)それでも本当に世界が終わる可能性があるなら、やり残しなんて何も無い方がいいのかな。…先輩は今年中に何かしておきたいことって、あります?(参考までにと口にした質問は意図して軽い調子で。あくまでも仮定の話だと何気なく問いかける)
|
…へえ、違うのか。ザンネン。それじゃあ男と手でも繋げば妬いてくれんのかね。
|
(例の誓いを立てて以降も彼女との関係は以前と然して変わりなく、強いて相違点を挙げるならば互いの間に流れる空気が若干柔らかくなったくらいなもので。別に気持ちの整理など着けずとも今の今まで己を突き動かして来た感情を思えば彼女へ向く想いの答えなど自ずと見えて来るのだが、けれどそうして彼女の傍でその笑顔を見ていられるのならば特別進展するような事がなくてもそれでいいと、己の最低な経歴を鑑みれば多くは望むまいと思っていたのがしかし嘗ての仲間より最悪の選択肢を突き付けられて以降、本当にこのまま終わってしまっていいのだろうかと考える時間は増えたように思う。内心渦巻く感情も恐らく冗談だと聞き流され悟られる事はない筈で、こんな時ばかりは普段から調子の良い軽口ばかりを叩いていて良かったと心底思いながら就いた帰路への道。祝えてよかっただなんてまた随分と可愛い事を言ってくれるものだと、唐突に落とした言葉へのはにかむ様子を見ては穏やかに双眸細めて「ああ、…ありがとな。」と述べる謝辞は言葉にせずとも十分すぎるほど喜色を纏っていただろう。)………、春が来なきゃイイなって思ったコトならあんだケドさ、まさかこんな形で叶っちまいそうになるなんてな。(仰ぎ見た曇天より舞い落ちる白、空へ差し出した掌に降りた白が一瞬にして跡形も無く消えて行くのを見据え乍ら薄く開いた唇が落とした音は、同様に物憂いを孕んで。大切な存在が増えれば増える度、この楽しい時が永遠に続けばいいのにと思わない日はなく、それがまさか“滅び”という形で叶えられそうになるなんてと口元に乗るのは自嘲のような薄ら笑いだった。)…さあ?別にこれといってねえよ、普段と同じコトが出来りゃそれで。トモダチと飯食いに行って、寮のラウンジでアイツらとくだらねえ雑談で盛り上がって、気が向いたらタルタロス上って……綾ちゃんが傍に居てくれれば、俺はそれで十分。(投げ掛けられた問い掛けに一度彼女を一瞥したのち、一瞬ばかり言葉を考えているような間を開けて漸く発した言葉は普段と変わらぬ軽やかさで以て。 傍に居れれば十分だなんて其れ以上を考えるようになっている癖に良く嘘を吐けたものだと改めて己の面の皮の分厚さに関心しつつ、気だるげに頭の後ろで手を組んでは「そういう綾ちゃんはどうなんだよ?」と同じ調子で問いを投げて。)
|
……なんでそうなるんですか。……性別関係なく嫌なので、止めて下さい。
|
(ちらちらと降り注ぐ雪は巡る季節を意識させて、そういえば転校を言い渡されたのも去年の今頃だったなと遠く感じる記憶が頭の中を過る。両親の件もあってか、こと男女間の絆に対して猜疑的に考えてしまうのは良くない傾向のひとつだと言えるのだけれど。約束を得ても自信を持てぬ原因は彼の読めない本音ばかりにあるわけではなく、己のつまらない虚栄心だとか、甘えだとか、そういった諸々が足枷として一歩を阻み続けていた。今だって謝意を受け取れば浮き立つ心は現状維持の微温湯に浸り、言うべき言葉は遠ざかる)それって出会いと別れの季節だから…ですか? あたしは割と嫌いじゃないですけどね。春。今年は季節を楽しむ余裕もなかったから来年こそはと思ってたのに、本当、何が起こるか分からないです。(彼の苦悩していたところを思えばわざわざ尋ねるのは辛い記憶を掘り起こすだけかもしれないが、その考えの一端でも知りたいと推し量るように首を傾げた。消え行くものは儚い。時が来れば世界や自分たちもこの純白のように一瞬で失われてしまうのかもしれないとしても、それでも欲しいものがあるのだと、際限のない欲深さを誤魔化すように小さく笑って鞄を握る手に力を籠め)……そういう当たり前のことで満足できるなんて、先輩は凄いな。(さらりと返された無欲な答えにまず浮かんだのは純粋な感心。それから彼の日常に自らの存在が組み込まれていたことにじんわりと喜びが広がって、しかし一滴だけ心に落ちた寂しさは灰青の瞳を僅かに曇らせた。「あたしは――」と、同じように問われた内容に言い淀むのは、日が経つにつれ増えていく未練や後悔があまりにも多いから。家族のこと仲間のこと、迎えられないかもしれない未来のこと。何も手放せず飽和するほど抱え込んでしまう己では、建前でも彼のように無いと言い切る事など到底出来そうもない。だから唐突に歩みを止めて立ち尽くすと、所在なさげに俯いては暫し黙り込み)………、……もし、もしもですよ? 遊びでも気紛れでも構わないので一回だけキスして下さいって言ったら、利川先輩は―…、(困りますか?そう最後まで言い切れなかったか細い声は正しく尻ごみの現れである。気持ちを告げるのは故意に何かを壊すのにも似て。底知れぬ恐ろしさに反応を確かめる間もなく首を振れば、熱持つ頬を隠しながら続けたのは臆した末の撤回)……冗…談です。変なこと言いました。…忘れて。
|
逆転の発想ってやつ?なぁんて、…最初っからそう言ってくれりゃイイのに。
|
そ。春になったら俺ら3年は卒業だろ?そしたらもう寮の奴らとも、…綾ちゃんとも、毎日顔を会わせるコトもなくなるんだって思うとサ。…なんつーか、想像出来なくってよ。(出会いと別れ。人よりもずっと多く其の機会を経験して来た身であるからこそ苦悩し抱えた悩みもあったのだが、しかし永遠に抜け出せないだろうと思っていた螺旋は隣に並ぶ彼女によって断ち切られて以降、彼女と此の場への執着は日に日に増すばかりで慣れてしまった筈の別れを惜しくさせる。時が止まる事など無いし仕方がないと頭では理解できても心ばかりはどうにもならず、小さく息を吐き出し乍ら肩を竦めて落とした言葉は矢張り何処か呆れ混じりに自嘲めいて。何が起こるかわからないとの言葉には同意示す笑いを浮かべて応えよう。)いや、……凄くなんか、ねえよ。(ぽつり、静かに落ちた言葉は呟きにも満たない声量で。違う、欲が無い訳ではない。彼女は当たり前の事だと言っていたけれど育った環境上其れをする事さえ叶わなかった利川にしてみれば十分過ぎるほど欲深い願いで、彼女と此の場への執着を示しているようでもあった。同じく決断を迫られた彼女の思考を少しでも知る事が出来たらと何気なく投げた言葉はしかし思いもよらぬ方向へ。隣を並ぶ彼女の歩みが止まった事を知るのは容易く、反射的に足を止めては半歩後ろ程に俯き立ち尽くす彼女を利川もまた黙って見詰めていたのだけれど――耳が掬った音に双つの碧が見開かれるまで、数秒と掛からなかった。)………、…来いよ。(沈黙したのは彼女が撤回紡いだものの十数秒間。言い終わるか終わらないかという絶妙のタイミングで、まるで言葉の撤回を赦さぬように彼女の華奢な手首を取るべく手を伸ばしては有無を言わさず校庭に点在するひとつの大樹の裏手まで彼女を引っ張って行ってしまおう。抵抗されるような事があれば無理に場所を移動する事もなくその場でも構わない、ただ邪魔者の居ない場所で文字通り彼女と二人きりになれるなら何処だって構わないのだから。)なぁ、丁度イイ機会だしよ。俺らの関係、そろそろハッキリさせとこうぜ。“友達”として傍に居るのか…それとも、(“こういうコトが出来る関係”として傍に居るのか。彼女を壁際へと誘導するように一歩踏み出し距離を縮めては、逃がさないように片手を付いて退路を断ち、身を屈めて至近距離から彼女の顔を覗き見る。未だ互いの吐息が掛かる程距離が近い訳ではないけれど、このシチュエーションでこれからされる事がわからない程彼女も疎くはないだろう。 彼女の傍に居れるなら多くは望むまいと言い聞かせていたというのに、少しでも気のある素振りを見せられただけでこんなにも容易く崩れてしまうなんて――我ながら余裕が無いと思うけれど、多分実際、余裕などないのだ。)言っとっけど、気紛れとか遊びでするつもりはねえから。だから、……マジで嫌だと思ったら引っ叩くなり突き飛ばすなりしてくれよ?…じゃねえと勘違いしちまうからさ。(彼女が好意を抱いてくれていると。友人以上の関係を望んでいると。そんな幸せな勘違いを、してしまうから。だからと続けた言葉は軽口でも叩くように普段と変わらぬ調子で、最後に口端引き上げて作った笑みは余裕の無さを悟られない為の仮面に違いなく。間もなくゆっくりと身を屈めては其の薄桃色へと唇が重なる間際、掠れた吐息混じりの声が零れ落ちる。)――――……好きだ。(其れは飾り気の無い、本心。)
|
だって……あたしだけ見て欲しいとか、そんなのただの我儘じゃないですか。
|
……、卒業は悪いことじゃないから快く送り出さないといけないのに。他でもない先輩にそう言われたら、辛くなるじゃないですか…。(本来訪れるはずだった時の流れという形での別離を意識していなかったわけではないが、新たな環境へと踏み出す一歩は滅びよりずっとマシだと折り合いはつけていたつもりだった。しかし別れは別れ。たとえ終焉が回避出来ようといずれ傍近くに居られなくなる事実は、彼の様子が寮での生活を惜しむものであると理解出来れば出来るほどに切なく、仕舞い込んだ寂しさが喪失感として見返す双眸を揺らす。手の届く距離に在れた四月からの日々がどれほど得難いものだったのか、終わりが近づいてから実感したところで詮無き話。だが今ある毎日にきちんと価値を見出している彼は、矢張り誰よりも優しく周囲の皆を大切にしていて、軽口の下に隠れたそんな誠実さにどうしようもなく惹かれてしまうから。本当ならこんな風に試すような事など言うべきではなかった、高望みするような願い事を告げるべきではなかったと、羞恥と後悔が綯交ぜになって怯んだ表情は何時になく無防備なまま)え……、え? せんぱい…?(急に顔色が変わった彼に戸惑う合間、有無を言わさぬ強さで引かれた腕に意図は分からずとも従う。とはいえ話の流れ、そして連れ込まれた先が校庭の死角とくれば、どういった理由での移動なのかは容易く察しがつこうもの。思わず逃げ出さんとする臆病風まで読まれているかのように壁との間に追い詰められた糸川は、視線を斜め下にずらして容赦のない一言に応じる)そんなの分かってるくせに……ひどいです。ただの友達相手にこんなこと頼むほど、自分を安売りしてるつもり…ありませんから。(辛うじて気丈な物言いを装っていても内心はこれ以上ないほど動揺していた。至近距離から覗き込む一対の碧に何かを強く望まれているような気分に陥るのはきっと錯覚ではなく、恐々と合わせた危うさに魅入ってしまうのもまた同様。気紛れも遊びも否定する声に僅かに肩口を震わせたのは、怯えや嫌悪の所為では勿論なく、この期に及んでも此方の意志を尊重しようとする彼に嬉しさと幾らかの焦れを覚えたからで)…――勘違い、して下さい。して欲しいです。(求めるのは今以上なのだと短く肯定を紡ぎ、覚悟を決めて上向いたなら甘やかな熱を受け入れよう。唇に直接乗せられたたった三文字は触れ合った箇所から染み渡るように全身へとめぐり巡って、最早疑う余地すらないほど大切にされている実感で満たしてくれるから。降り注ぐ雪の冷たさも、遠くに聞こえる雑踏の音も、抱えた迷いや不安も全て――想いが通じた幸福によって塗り潰され後は愛おしさしか残らない。それは恐らく彼が体を離しても余韻となって付き纏い、許されるなら枷を失くした欲求の赴くままに両腕を伸ばして、縋るように抱きつかんと)……やだ、嫌、…こんなじゃ全然足りない。…先輩が一番大事だって、漸く気付けたのに。…どうしてもっと早く出会えなかったの? どうして……ずっと一緒には居られないの?(宿命とは常に理不尽を運ぶものだ。幸と不幸は常に表裏一体で、それを恨んだところでどうしようもないと知っている。だが、どうせ始めから仕組まれた出会いであったならより多くの時間を彼と共に過ごしたかったと、滲む涙と共に吐き出した声音は必死の執着を示して止まない)
|
イイじゃん我儘でも、…寧ろもっと我儘言って、甘えてくれていいんだぜ。
|
アハ、ごめんごめん。つっても今生の別れってワケじゃねえんだしサ、……だからそんな寂しそうな顔すんなって。…ま、俺のせいだけど。(滅びの確約が為された今どんなに春へと思いを馳せても其れは無意味な事で、されどそれでも卒業式という先の未来を憂うのは利川の中で彼に突き付けられた選択の答えが決しているから故だろうか。不謹慎ではあるが彼女もまた別れを惜しむような言葉を返してくれた事を嬉しく思う反面、其の瞳に灯った寂しげな色を見て取れば膨れ上がるのは素直に人に甘えられない彼女への愛おしさと、残して行く事に対しての心苦しさで。けれど矢張り彼女には何時までも哀しい顔をしていて欲しくないと口を突く言葉は軽くおどけたような笑顔と共に。――あれから数ヶ月、ずっと傍に居ると約束を交わしておきながら彼女との関係を有耶無耶にしていた理由は現状を崩したくなかった というのは建前で、今までなにもかも捨てて来た自分が果たして彼女を大切に出来るのか多分自信が無かったから。彼女がそんな事を嘘や冗談でいうような性質でない事は傍で見て来た故に知っているけれど、今一度確認を取っておきたかったのだ。至近距離で真っ直ぐに彼女を見詰める最中、思い返すは大事な友人の言葉。大切に出来る――してみせる、鼓膜震わせた声を聞けばまるで理性の枷でも外れたように性急に重ねた熱は此れまでに感じた事が無い程甘く、それでいて熱く、微かな痺れを伴う幸福が波紋のように其処から全身へと広がって行くのを感じては歯止めが利かなくなるその前にゆっくりと重なった身体を離そう。触れていたのは十数秒にも満たなかったけれど互いに想いを確かめるには十分で、)……っとに、あんま煽んなよ。歯止め効かなくなったらどうすんの。…俺こう見えて結構余裕ないんだぜ、今。(崩れた仮面の内に潜む脆さも欲も不安も全て受け止めるように利川もまた華奢な背中へと手を回し、彼女の耳元で落とした低く掠れた囁きは確かに余裕の欠片も無く。一度心を落ち着けるように小さく息を吐き出しては、宥めるようにぽんぽんと、彼女の頭をゆっくり二回程叩き乍ら。)……時間は戻せねえし止める事も出来ねえけど、未来を創る事なら出来るんじゃねえの。……でも今は、俺の事だけ感じてろよ。その不安も恐怖も全部忘れちまうくらい、…俺で満たしてやるからさ。(冬の外気に触れ冷たくなった彼女の頬へと手を滑らせ、目元に滲む透明な愛しい涙を親指で拭って浮かべた微笑。利川にも不安が無いといえば嘘になるけれど、でも今己の中で答えは確実に決まった。足りない。そう、足りないのだ。まだまだ遣りたい事は沢山あるし、これからもっと彼女を知って行きたい。その為には未来を掴むより他にないのなら、答えなどひとつしかないだろう。だから愛しい子、どうか泣かないで。例えどんな結果になっても、)……傍にいる、――最期までな。
|
そう思うなら先輩も甘えて下さいよ。男がどうのとか冗談言わないで。
|
あたしは別に責めてるわけじゃ…、(彼の所為、なのだろうか。此方よりよっぽど別れの意味を実感している筈の笑顔は沈む心を掬い上げるのに足るものであったけれど、表情を曇らす寂寥をすぐさま晴らす事は出来なかった。その原因は彼の寂しさを払いたい気持ちに反して自分一人が慰められている不甲斐なさであり、密かに悔しさを押し殺すと淡い微笑みを浮かべる。強引に笑うのは得意な方とは言えないが、ぎこちなくなっていないと願いたい)でも…そうですね、全く離れ離れになるって話ではありませんし。もし会いたくなったら今日みたいに押しかけても……いけない、ですか?(前向きな思考転換を図って同意を示すも、伺うような視線と呟きが疑問形で終わったのは心配の表れだ。名前の無い曖昧な関係がそうさせるのか、或いは感情を見せる度に露呈する弱さが悪いのか。近頃の彼の態度は本当に真摯で、真摯過ぎて、逆にどう捉えればいいのか分からなくなってしまう。何か心境の変化があったのだろうと理解出来るものの、つかず離れずの距離は意識すればしただけ真意に踏み入りたい気持ちばかりが急いて。けれど――線引きの向こうに跳び込んでしまえば迷いなど些末事だ。秘めた想いは同じなのだと、融けるような眼差しで際限なく近付いた碧い双眸を見詰め、ただ傍に在る安寧と熱情だけを抱いて甘えに走る糸川に恥も外聞も一切ない。尤もそれも「煽る?」ときょとんと呟いた呆け顔が見る間に赤くなるまでの話だが)な……、違いますっ。…先輩なら嫌ではないけど…、とにかく違いますから!(吐息と共に耳元を掠める囁きに今更早鐘を打つ鼓動。間違いなくこういった行為には慣れているだろうに何を言い出すのかと、動揺のあまり口にした否定は聊か支離滅裂で。それでも波立つ胸中は彼の手で簡単に静められてしまう。子ども扱いのような其れが、今はただ心地良い)……これ以上他のことを考えられなくなったら駄目になりそう。…でも今だけ、今だけ本当に忘れさせてくれるなら……――お願い、あたしに先輩のことだけ解らせて。(彼の言う通り今は未来に希望を持つべきなのだ。恋に溺れて現実逃避している場合ではないと頭では分かっていても、不安と悲哀を拭う慈しみは放し難く、冷静な仮面が被れないのを自覚し寄り添うように体を預ける。この記憶があれば絶望にも立ち向かって行けると信じたいから、頬に触れていた掌を取り、微かなぬくもりと誓いを伝えんと両手で包み込んだ)……、最期まで一緒に生きましょうね。先輩。(終わりを見据え新たに交わす約束に、けれど自然と眦緩める笑顔は和やかで。「少し冷えてきましたね」と名残惜しさを振り切って離れたなら一歩二歩と帰路に向き直る。世界を白く染め上げる雪は止まず、春はまだ遠い。だが確かな光明が、少女の胸の内には灯り始めていた)
|
えー。俺は甘えられる方が嬉しいんケドな。甘えるより。……甘え方、知らねえし。
|
(そう、此れが最後じゃない。永遠の別れでは無い。冷めた脳が理解していてもしかし心の寂しさは矢張りどうしたって拭えるものではなく。死より居場所を失くす事の方が、離れる事の方がずっと怖いのだと、その聞き分けの無い子供のような執着心に駄目だと言い聞かせるように口にした呟きが同調示すようにオウム返しに彼女の声で返って来れば、改めて仕方がないと虚空抱えた心に言い聞かせるしかなかった。きっと過去のようにはならないと。これきりでは終わらないのだと。そうしていなければ今にも仮面が崩れて、彼女の前で“寂しい”だなんて口にしてしまいそうだったから。でもそうすればきっと彼女は益々表情を曇らせてしまうに違いなく、だからおどけた様に笑う事しか出来なかったのだけれど。)……え。…来て、くれんの。(何処か不安げな少女の灰青と己の碧が交われば、零れた声は意外だとでも言いたげに呆気に満ち満ちていた。離れないと約束を交わした以上、己から彼女の所へ押し掛けるつもりはあったのだけれど――その逆はまるで想定していなかったものだから。きょとりと瞬いた後、しかし徐々に胸が温かくなるような幸福感に心が満たされて行き「イイに決まってるじゃん。大歓迎。」と口元も自然と緩んで。――ア。赤くなった。呆けていた彼女の顔が瞬く間に赤く変わっていく様を至近距離で見据えては、存外満更でもなさそうな反応にふっと満足気に熱い吐息を吐き出した。それは飛び出す言葉の節々にも現れていて、其れはまたなんとも素直なようでいて素直になりきれない彼女らしく、)……、……そーいうのがますます俺のコト煽ってるんだって、気付けよ。(尤も熱に浮かされた今の状態では彼女が何を言っても利川には煽っているようにしか聞こえないのだろうけれど。内に燻ぶる衝動は溜息と共に外へと吐き出して冷ましてしまおう。)………、…ああ。もっともっと深く俺に溺れて。知って。感じて。…もう独りじゃねえよ。(俺も、キミも。――体温を分け合うように、己という存在でまるまる彼女を包み込んでしまおうと背に回した腕の力を少し、ほんの少しだけ強めて。触れられた掌からじわりじわりと伝わる彼女の熱は誓いと共に利川の身体に刻まれる、けれど―――ああやっぱり、こんなんじゃ足りない。名残惜しくも離れた少女の指先がその腕が、もし未だ此の手の届く距離にあったなら。掴んで、引き寄せて、少々強引にでも其の柔らかな唇を奪ってしまおう。今度はもう少しだけ深く、長く、啄ばむように。呼吸さえ奪ってしまわんと。)…、…生きよう。……一緒に。(改めて立てた誓いは“最期”では無く、冬の先に待つ未来を見据えて。再び帰路を辿り始めれば雪のちらつく曇天を仰ぎ、「…ま、冬はこれからが本番だもんな。」ぽつりと呟き落しては彼女の隣に並んで道のりをゆっくりと歩きだす。其の胸を満たすのは温かな光――双眸が、心が、先の希望を見据えた瞬間だった。)
|