5月24日(夕食時も過ぎた夜、一階のラウンジのソファに腰掛けて待つ人物は。) |
---|
(其の一連の遣り取りを思い出したのはついさっき、コンビニに少々遅めの夕飯を買い出しに行った時の事であった。世間のニーズや流行に敏感なコンビニは行けば何かと目新しい置いてある事が多く飽き性の利川の利川も頻繁に利用してはいるのだが、大体は軽食か飲み物のコーナーくらいしか立ち寄らない故に、そういえばホットケースを見る事は少なかったように思う。この日も何時ものように夕食は軽く済ませようとサラダとパンだけを持ってレジへと行き、何時ものように其れらだけを購入する気でいたのだが、)――…唐揚げ、ね。(レジ台に張られていた”新商品、唐揚げ串はがくれのラーメン味”の文字。唐揚げ串の言葉がこんなにも印象に残っているのは、矢張り彼との遣り取りが多少なり頭に残っていたからなのだろう。約束をした訳でもないけれど、それでも唐揚げの購入を決めたのは気まぐれか、さて。 ビニール袋を片手に提げ寮へと戻って来るなり手早くメールを打ち込んだなら、ラウンジの二人掛けのソファへと腰掛けて意地悪くも早速4つ刺さっている唐揚げを一つぱくり。串に唐揚げが残っている内に彼はちゃんと辿り着く事が出来るだろうか――残り3つになった串を見詰めて、ニィッと愉しげに口元を引き上げた。) |
…ご飯食べンの遅くねぇ?ちゃんと食べてるか俺心配よー。 |
(先日の中間試験の自己採点も滞りなく完了し、上機嫌に寮内で簡単な昼食を取っていた上広の元へと届いた一通のメールは、試験を終えて浮かれているらしい友人達からの遊びの誘いを記していた。ついでにお前の過ぎた誕生日祝いもしてやるという言葉に二つ返事でオーケーを出せば、意気揚々と寮を後にして数時間。お祝いにと強請った末の戦利品であるぬいぐるみを傍らに、その柔らかさを堪能すべくベッドへと体を埋めたのは――数十分程前、だったろうか。投げ出した携帯電話から響く着信音に浮上した意識は、画面で一先ずの時間の経過を確認した後に緩慢な動作でメールを開いて)…ぁ……や ば(まずは送り主を。そしてその内容を。確認していく内に覚醒していく脳が記憶を呼び起こすと同時に、寝惚け眼を開き、足を動かせという命令を下す。手早く返信したメールが彼の元へ届くのと、縺れそうになる足の速さとではそれ程大きな差は生じない筈だ。但し、階段を下がる最中、危うく滑り落ちそうになった足は一般的な速さすら備えていないらしい)!リカちゃ……はー…タイミングが、あんま、よくない〜…じゃなく、て……間に合った…?(数分の不必要な時間をかけて辿り着いたラウンジに彼の姿を認めれば、パタパタと歩み寄る足取りは覚束ないまま。不安げに下がった眉の上、寝起きで乱れた髪がぴょこぴょこと揺れていた) |
独り身の男なんてこんなもんっしょー、キッチリ食べてる方が珍しいんじゃね? |
(彼の為という建前で買った割りに、容赦なく普通のペースで食べ進めるのは当時の再現である。――というのは勿論冗談で、彼が本当に間に合うのかどうか試しているのが一つ。此れが無くなった時、彼がどんな反応をするのか気になるというのが一つ。兎にも角にも彼の為にゆっくり食べようなどと妥協をするつもりは毛頭ないのは確かで、それ程大きなサイズでもない唐揚げは見る見るうちに串から消えて行くのだろう。故に、自身の名前を呼ぶ声が聞こえた時には既に串は裸も同然で――、)ざーんねん。ダーリン来るの遅いからさぁ、一人で楽しんじゃった。悪いね。(ソファの肩越しに彼を振り返っては愉快気な三日月を口元に乗せて、ひらひらと彼に見えるようにと振った串は悲しきかな、唐揚げの無いただの串に戻っていた。荒い息遣いと頭上で跳ねる髪を見れば、寝起きから飛び起き急いで此方へ来たのだろうと直ぐにわかったけれど、其れにも関わらず非常に残念な結果となった彼が一体どのような反応を示すのか、ちらりと横目で表情を窺いつつ、)――ま、コッチのは無事だけど。(ごそごそと袋から取り出したのは何だったか。串に刺さった唐揚げのタイトルは言わずもがな。誰も最初から”一本しかない”などとは言っていない、と、悪戯っぽく笑って。)ほらよ、新作。どんなモンか食ってみ。(つい、と鼻先に突き付けては、”あーん”を促す。買った味は新商品、普通のとは違うけれど、それはサプライズという事で。さて味は如何に――?) |
あー確かに作ってくれる人いないとそうなっちゃうかもな…独り身つらぁ。 |
(部屋を飛び出した瞬間に鏡を見ていないだとか部屋着のままだとか、様々なことが頭に過ぎりながらも懸命に足を動かしたのは、彼との約束にも満たないような――けれど上広にとっては破るべきではない確かな約束が思考の中心にあったからだ。けれどその結果が目の前で掲げられた物悲しい棒なのだから報われない。まじかぁ。落胆と疲労に詰まった息を吐き出すと同時に、ずるずると青年の座るソファの背凭れに手をかければそのまましゃがみ込んだ。悲痛な面持は食べ物に対するリアクションとしては随分とオーバーだ)〜っ…ごめんね。間に合うように頑張るっつったのに……ダーリン失格だよなぁコレ(背凭れに頭を押し付けながら呟き落とした言葉こそが、その悲しみの大半を占めているらしい。ガサガサと彼の動く音を耳にしながらも再度吐いた溜息は床へと落ちた。そんな中、降り注いだ声音は誘われるように顔を上げるには充分で)え…?……あっ、たべ る。ありが、と?(慌てて立ち上がり、たどたどしくイエスを返した唇も彼の手によって約束の品を口にする頃には、味覚を刺激する感触に見る見ると口角を上げた。咀嚼中でも綻ぶ頬は言葉にするまでもなく味の感想を彼に伝え、食べ終わって開口一番に口にした言葉も、勿論、)おいしー…。新作か…なんかすげー馴染みある味……なんだっけ。…あ、リカちゃんはもう食べた?これ、(彼の手に自身の手を添えて手首を回せば、その手が振り払われない限り、今度は彼に向けて串が向けられるだろう。「はいお返し、あーん」――先程の彼には及ばないものの、無邪気な笑顔もまた、お返しだ) |
それがヤなら早いトコ手作り料理作ってくれるかわいいカノジョ見付けなきゃネ。 |
(期待以上の落胆を魅せてくれた彼に、形ばかりの残念を紡いだ利川の口元は随分と機嫌が良い。部屋を飛び出した時の状況がありありとわかる其の恰好を見てはさて、寝癖の事を一言いってやるべきか、それとも寝間着姿を揶揄するべきか。緩く弧を引いた唇が音を紡ぐより先に、彼の口から飛び出した謝罪はさて、何に対してのものだったか。理解した刹那、そんな事を気にしているのかとでも言うように「もう、ダーリンってば重過ぎ。」なんて、可笑しそうに小さく噴き出すのだろう。彼の頭には疑問符が沢山浮かんではいたものの、拒む事無くあっさり素直に口に入れてしまう辺り警戒心がないというかなんというか、けれど無事に彼の口に目的の物が渡ったのだから細かい事はもう気にしなくても良い筈だ。タイトルに惹かれて面白半分に買ったものではあるけれど、咀嚼した彼の表情を見る限りどうやら”アタリ”であったようで。)そ、新作。まーくんの口に合って何よりで。なんでもはがくれのラーメンの味らしいぜ?変わったモン出すよなホント。 ん、いや、俺はまだ――……。(食べてない。否、正確には食べる気はない。なかったのだけれど。手首に添えられた手に疑問を持つよりも先、くるりと串の先端が此方を向けば、思いもよらない反撃に双眸丸くし瞬きをひとつ。胃袋はさっきの唐揚げで一杯になってしまったから口を開くつもりなんて全く、一切なかったのに、毒気の無い無邪気な笑顔に諭されたとでもいうのだろうか、気付けば口を開いていた。咥内に広がる味は――ああ、なるほど。確かに、)思った以上にイケんな、コレ。……にしても、バカップルみてえなコトしてんな俺ら。(傍から見ればさぞ異様な光景だろうと、けらり、可笑しそうに笑う顔には羞恥も悪意もなにもない。) |
んーかわいい子は沢山居るけど、且つ料理上手となると、なァ…。 |
(“重過ぎ。”その単語と笑みに僅かな間を空けて、釣られるように浮かべた微笑には僅かに苦笑が混じった。同じ屋根の下、学園で暮らし始めてから既にそれなりの月日は経っているが、こうしてきちんと面と向かって会話をするという機会はあまりなかったように思える。なれば自然と、柔らかな視線も彼の双眸へと真っ直ぐに向けられ、其処にはどこか対象を観察するような色を滲ませるのだ。その対象が差し出された物へと移り、彼の言葉に移り、嚥下を終えても尚、舌の上に張り付いた後味の正体を知れば納得と賞賛とを交えた頷きを数度、)あぁ、はがくれ……そうだな。こういう、なんちゃら味って結構ハズレも多いのに俺達結構ラッキーじゃん?…つかこれ、コンビニよね。下手に料理するよりも美味しいものが何時でもお手軽に手に入るとかな……やっぱ都会は違うわぁ(彼の傍らに置かれたビニール袋に視線を向けつつ、空になった口を満たす言葉の数々は先程まで眠っていた脳を通常の運動量にまで回復させる為。拒まれることを想定した上での行動に意外にも応じられれば次いだ同意の言葉も含め、喜色を乗せた微笑を浮かべた。「リカちゃんもイイ発見できたね。…俺のお陰かもよ?」。而して笑みと共に彼が放ったキーワードに、ぱちくりと目を瞬かせたのはこれで何度目か)んー…何たって、青い糸で繋がれてるらしいハニーとダーリンだし、ねえ?…なんてな。確かにちょっとイチャつき過ぎか?今誰か来たら誤解されるかもー……ま、俺らのキャラなら軽く許されちゃいそうだが(ハハッと明るく笑うには快くない冗談ではあるものの、半ば確信するように付け足した言葉に関しては、相応に的を得ているといえるだろう) |
料理部行けば一発じゃね? |
(冗談程度の軽い揶揄を含んだ言葉は如何やら彼の気にお気に召さなかったらしい。僅かな間を空けて沈黙と共に浮かべた微笑の中に垣間見えた苦い色を、双眸は逃す事無く捉えていた。其れが彼にとって余り触れられたくない話題なのだろうという事は、続かぬ会話が物語っている。「…ケドま、そんなトコもアイシテルぜ。」僅かな彼の変化には何も気付かない振りをして、飄々と紡いだ言葉を先刻の言葉に対するフォローと捉えるのか、或いは其れを彼の琴線に触れんとする悪意のある揶揄と捉えるかは、全て彼次第であるけれど。――其の淡い緑と視線が交わるような事があってもどうぞお好きに観察して下さいとばかりにニヤリと笑う其の姿勢は、彼の双眸にさぞ挑発的に映るだろう。)ま俺としちゃハズレに当たるコトに期待してたんだケドネ。 そ、コンビニ。今や都会じゃ何処に行ったって二・三軒は見掛けるぜ。俺はコンビニ無い生活なんて逆に考えらんねぇよ。(まるで田舎から出て来たような彼の口振りを聞いては茶化すように小さく笑う。幼少期より普及し出し、当時から其れに親しんで来た身としては美味しいものが手軽に手に入る事は当たり前のようなものであったが故に。喜色混じりの言葉には一杯になった胃を擦りつつ、「ホント。…太ったらダーリンの所為ヨ?」なんて茶番を演じるのか。俺らのキャラなら――紡がれた言葉は確かに的を射ていたけれど、違いないと笑って同意を示すことはなく、スッと品定めでもするように双眸細めて紡いだ声は、業とらしいくらい感心したような響きを持って。)……へえ?まーくんは俺がどんなキャラなのか知ってんの?―――じゃあ俺がバイだって言っても、当然驚かねえハズだよな。………俺は別に、誤解されたってイイんだぜ。そういうコトしちゃう仲だって、サ。(ソファに頬杖を付きながら、其れは囁く様な声色で。言葉も含めて艶のある吐息混じりの掠れ声は男の彼にはさぞ鳥肌物に違いない。――さて、此の言葉、嘘?ほんと?) |
えっソレすげぇ名案じゃん?…えー…行っちゃう? |
(「こんな俺をあいしてくれる君を俺もあいしてるよ?」――掴み所のない彼の独特な調子に呑まれないように、今度こそ確りと弧を描く唇と尻上がる言葉。けれど、眩い翡翠と微笑から逸らした視線は此方を誘い込むような雰囲気を醸す彼をすり抜けてゆく。さも自然な仕草のように、)ええっなによソレー…イジワルくん発動?…まー都会はねぇ違うよなぁ……あ。ってことはリカちゃんは生粋の都会っ子ってやつですか。羨ましー(口振りに反して笑みに満ちた声音は然してその言葉通りの感情を抱いている訳でもないようだ。さり気なく彼のこれまでの生活への問いを投げつつも、思い起こす自分自身の幼少期の思い出に浸る瞳は青年を通り越して、どこか遠くを眺めているようでもあった。「ダイエットが必要になったら付き合うよ」「運動以外の方法で」――集中は一点になくとも、戯れの言葉程度は返すこともできる。しかし不意に、今までのものとは明らかに違うトーンで紡がれた言葉に、視界の中で変化を灯した美しい双眸に、意識が浮上した。まるで誘惑されたようだ。それは瞳だけではなく、言葉自体も明確に艶やかな響きで鼓膜を揺らす。――。ゆっくりと瞬きをしたのは青年の表情を確認する為。そして曖昧になっていた思考を再起動する為、)…わり。訂正する。正しくは俺が知っている君のキャラ。…俺はまだ全然君のことを知らないもの。だからまあ…普通に驚くよな。…寧ろアンタも、俺が驚いてくれた方が嬉しいンじゃねぇの。なあ、イジワルくん?(その言葉が本当なのか冗談なのか。彼が何を望んでいるのか。判断するには情報も関係も乏しい。「でも、」)俺はその言葉が嘘で冗談でも、性別も何もかも抜きで利川くんが本気でイイって言うんなら、全然構わねぇよ。…うん。………な。どうする?(それともまた、重たいって言ってみるか?――まァそれも正解だけどな。ソファの背凭れに手を添えて屈み込み、少し上、けれど格段に近付いた距離から見下げた青年。その双眸に映りこむ自分は彼に感化でもされたのだろうか――。薄い唇にほんのりと艶を乗せて、笑っていた) |
行っちゃう?カノジョは難しくても手料理なら分けて貰えるかもしんねえし。 |
やっぱ面白い方が見てるコッチとしちゃあ愉しめるんでね。俺がイジワルなのは知ってんだろ?……いーや。都会っ子っつーか、繁華街育ちなだーけ。俺結構色んな場所転々として来たからサ、まーくんの地元近辺にも行ったコトあるかもしれねえよ?(幼少期からの移動生活、一年として同じ場所に留まる事無く常にあっちへこっちへと忙しなく移り住んでいた利川は己が一体何処に居たのかすら知らない。覚えている事は常に夕食を買いに行ける場所が近くにあったという事だけ。都会っ子と称するにはやや判断材料に欠けて、在りし日を想い見詰める淡い光を覗き込むように見据えては、ありえそうでありえない一言が悪戯っぽく紡がれた。「ダイエットの勉強でも教えるつもり?ヒトの身体は理屈じゃねえんだぜ。」心と体が矛盾しているような彼の切り返しにはワザとらしく不貞腐れたような声を上げて。――大抵の男であれば青褪めて身を引くであろう言葉も、然し彼に限ってはそうではない。微かに変化した口調は心成しか色を帯びているようで、まるで手の内などお見通しとでもいうように紡がれた音に、ひとつゆっくり瞬きをする事で心の内の些細な驚きを隠しては唇が不敵に弓を引く。)……よくわかってんじゃねえか。こういうのは愉しんだもん勝ち…だろ?(正直此処までノって来た相手は初めてだ。けれどこうなれば何処まで愉しめるか付き合うのも面白い。より近く、鮮明に双眸に映し出される端正なかんばせに浮かぶ艶めかしい笑みは、男の利川にさえ妙な疼きを覚えさせるのだから恐ろしい。その感覚はまるで妖艶な蛇に睨まれて心を囚われた蛙のようだ。―だが、)ハ、…そうかよ。なら―――、(…超えちゃう?ゆったりとした動作で片腕を彼の顔と伸ばしては、拒まれ振り払われない限り其の指先は男にしては白く滑らかな頬を一撫でするだろう。細い指先はそのままスルリと横髪を梳き、耳の後ろから後頭部へと行きつけば、不意に指先に力を入れて、グイッと思い切り彼の顔を己の眼前へと引き寄せて、)…………甘ぇんだよ、ばぁか。俺から一本取りてえんなら、このくらいはしねえとな。(傍から見れば唇が触れあったようにも見える至近距離。しかし実際は数センチの隙間を空けて、唇も口元を僅かに逸れて頬へと向いている状態だ。口を開けば吐息は自然と彼の頬へと触れる距離にてしたり顔で笑んだなら「…ドキドキしちゃった?」と唇は愉快な嘲笑を浮かべて。) |
行く行く〜。正直俺ら結構顔はイイと思うから…イケるんじゃん? |
(紛れもなく冗談に違いない彼の言葉に、そんなまさかと肩でも竦めればよかったのか。然し実際はパチパチと瞬きを繰り返して「もし会ってたらと思うと何とも言えんわ…」。そんな、もしもの戯言を、ほんのりと思案して浮かべたのは苦笑い。曖昧に引かれた線にも満たない、糸のような一区切り。ヒトの身体もココロも、理屈ではない。頭では理解していても実際は――。――不適な笑みは彼によく似合う。その艶も自分では遠く及ばない程だ。かっこいい。きれい。自然と浮かび上がる言葉を口にしなかったのは、せめて作り上げた微笑を深めることに意識を回そうと。なけなしの男としての矜持が双眸に宿る。きっと理由は、それだけじゃないけれど)…そうだね。しっかり楽しめりゃあイイんだが…、…期待しても構わねぇの?……あァでも、俺は期待され過ぎンのは苦手だから、勘弁ね(へらりと笑う。何時も通りの妙に砕けた気の緩いソレではなく、確かに“気のある”笑み。指先までをも美しい彼が自身の身体に触れた。柔らかな肌と、爪の硬い感触。髪を掠める感覚が心地良くて、人懐っこい猫のように細めた双眸が、眼前に広がる美貌に蕩ける。瞼を縁取る長い睫毛が微かに震えたのを、彼は見ただろうか。小さく呑んだ息を。背凭れにかけた手がぴくりと動く。しかし、彼の体に触れるわけでもなく、その指を引き離す訳でもなく、ただ、頬に受ける吐息を感じて、それで――。ああ。イタズラな顔も、彼にはよく似合うんだ。戸惑いも驚きも、一瞬で掻き消されてしまう位に、)…はは。甘いかぁ。だって、俺、人様に見せるシュミはねぇんだもん。…恥ずかしい、からね…うん(ほんのりと白い頬に射す朱色は先程までの雰囲気と一転。平生の雰囲気ともまた違い、珍しくも歳相応の幼さを残して、はにかむ。まるで純粋な少年のように)…ドキドキ、したよ?このままだとドコまでいっちまうのかなァって。…ぁー、やっぱり美人に迫られると拒めねぇな。困っちゃうぜ(茶化す言葉と崩れる微笑。へにゃり。滲み出す穏やかな空気に纏わりついた細い糸が、緩やかに動く手と共に、先程よりも柔らかく包み込むような手つきでその指に触れた) でもな、あのね。プレゼントついでに本当にキスしてくれても良かったんだよ…?(「つったら本当にしてくれたか?…冗談だよ!」僅かに舌先を外気に晒し、あくまで男は少年を“装う”。無邪気な笑顔で。) |
…じゃあどっちが先にカノジョの手料理に有り付けるか、勝負でもスル? |
(告げた言葉は他愛の無い冗談としての域を出ず、苦笑滲む顔を見詰めては彼の意見に同意を示すようにただ嗤う。彼が恐らくそうであるように、幼少の頃の話には余り触れたくないのは己も同じ故に、此の一件は互いの笑みを以って自然と消滅してしまうに違いなく。)……オマエに覚悟があんなら、喜んでリードしてやるよ。(至近距離にて深まる蠱惑的な微笑に視界を奪われ、くらり、眩暈にも似た錯覚に襲われたのは此れ以上踏み込んでは不味いという脳からの警鐘か。それとも彼の色香に中てられた余韻か。ぞくぞくと身体の内から湧き上がる感覚に身震いし、密かに口の端を釣り上げる。…怖気づく?とんでもない!其れが誘惑であろうと挑発であろうと返す言葉はヒトツ。変わらぬ笑みを携えて紡ぐ音は、ただ己が欲を満たす方向へ。)人の目が気になるって? アハッ、それじゃあなんか俺ら、イケナイコトでもしてるみてえじゃんネ。…でも俺、そういうのスキよ?(微かに差した朱色を見て微かに目を瞠ったのは、こんな表情も見せるのかと意外性を感じた故に。けれど瞬間口を突くのはそんな様子をからかうような言葉たち。ゆるりと小首を傾げる仕草はまるで同意を誘うように、)――……、(薄く開口した口は声を発する事なく、指に触れた柔らかな温もりによって閉ざされる。――成る程、これでは女が堕ちるのも無理はない。口説き文句のタイミングは絶妙。艶を帯びた眼差しは相手を”その気”にさせるには十分な威力を放ってはいたけれど、せめてもの救いだったのは利川が男であったという事だろう。)……次会った時にオマエにまだ“その気”があったら、頬でも……唇でも、欲しいトコにしてアゲル。 だから今日はコレで我慢してネ。(無邪気な笑みに応えるようにスッと双眸を細め、笑みを深める。代わりと言わんばかりに彼の目の前に翳すはまだ串に二つも残った唐揚げ串。一度名残惜しそうに彼の頬を撫でてからスルリと指先を包む彼の掌から抜け出して、見せ付けるように唐揚げ串を机の上の包み紙の上に置いては、立ち上がる。)オヤスミ。また明日学校でネ、ダーリン。(ひらりと手を振って告げる別れの挨拶。そのまま背を向けて階段を上がる道中――ア。思い出したように声が落ち、「そうそ、誕生日おめっと。」肩越しに振り返った言葉はウィンクのおまけ付きで。そして今度こそ階段を登り切り、彼の前からその姿を消すのだろう。) |
…いやぁ勝率低い勝負はしない主義なんで。…負けるとは言ってねぇけどな。 |
(覚悟だとか、スキだとか。イケナイことだとか。禁じられたことはしたくなるなんていう人間の性や本能を煽ること煽ること。曖昧でいて異常な熱気に包まれた脳内の一角で、何処までも冷め切った理性という一部分がブレーキをかける。当然だ。サラリと零れ落ちる甘い言葉や美貌にどれだけ見惚れようが彼は男で――それだけで、普段数多の女性に行っているような軽率且つ迅速な行動を取る理由もなくなってしまうというもの。目一杯の甘い言葉を吐いた後には赤でも桃でも橙でも鮮やかに彩られた唇に噛み付いて、そうして会話の主導権も、それからの主導権も何もかもを奪ってみせるのだけれど。其れが出来ないことだけが心なしか疎ましかった。見据えるは美しい翠。綺麗なのになぁ。咥内で噛み砕いた言葉には何の意味もない。然れど自身に倫理的な強いコダワリがあるかと問われれば胸を張ってイエスと言えるだろうか。それはまた別のお話で、他者に口にすべきものでもないことは明白だ。だからこそ同意を求めるかのような彼の言葉にもニコニコと微笑を称えたまま、「俺もすきだよ」――そんな言葉はすっかり飲み込んでしまおう。手に入らない相手に甘言なんて徒労だ。くらりくらりと思考も視界も揺らす男の色香に中てられない内に逃げてしまおうと装ったはいいものの、美しい唇の弧に奪われた目が幼気な表情の中で不自然に浮き上がる。曇った情欲。揺らめく鋭い光は、掲げられた色気の一文字も無い食べ物という物質によって無事に掻き消されてくれたけれど。ドクンと一瞬、高鳴った脈動に知らない振りをするなんてことも出来ずに、結果的に崩れた微笑は何とも言えない困り顔へ)……お預けってやつか?オーケー。楽しみにしておくよ。…俺は我慢ができるイイ子だから、どうなるかはわかんねぇが、(引き上げた片口角は彼の指が頬から離れていくと同時に薄らいで、今度はもう片方の端も伴って微笑を作り上げた。遠ざかって行く彼の背に移した顔は丁度此方を振り向いた彼の目と目を合わせ) う、ん。…ありがとう。…最後までサービス?かわいいねえ流石ハニー。…はは。おやすみ(思わず零れた笑顔は彼の姿がなくなっても暫くその唇に留まったまま、机上に手を伸ばせば残されたプレゼントを緩慢に、ご機嫌に消化していくのだろう。乱れた衣類と跳ねる毛先の存在すらも忘れて、男はささやかな喜びに満たされていた) |