伍、これからの話の段
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【伍】27日目:自室
若様、(幾度となく書いてきた手紙の書きだしは決まって彼の御方を気遣う言葉で始まるが、)鐘冴ゆる頃、いかがお過ごしでしょうか。(添えられた時節の言葉はその時々で異なった。)東と西ではこうも違うものかと驚きました。其方に比べれば此方はまだあたたかく、どんぐりも木の実を拾い集めるのに忙しくしております。(それから連ねる日々の事。話題には事欠かない毎日に、書ききれないあれこれや同封できない思い出、土産の品は戻った時に直接披露いたしますと書き添えて。)もうすぐ、ですから。(ひと月限りの約束だった。若様の他愛ない一言を真に受けて、しかしやるからには全力で向き合ってきた今日までを振り返る。最強の忍びとなるにはまだ程遠く、けれども忍術の覚えもある剣豪となるには十分な学びを得た今、静かに荷をまとめ、あれだけ賑やかだった文机の上はがらんとして。――そんな机上で唯一乱れた一角。)…こら、どんぐり。また拾ってきたのか? 隠すならきちんと隠せ。(手拭いの隙間から転がった木の実を拾って苦笑する。書きかけの文の横で首を傾げる小さな友。)リスというものはみな冬眠するのかと思ったが、どうやらそうじゃないらしいな。(貯食を行い始めたリスのことも先日手紙に書いたばかりだ。眠らぬ代わりに栄養を蓄えるリスが丸々と太ってゆくのを初めこそ面白がって見ていたが、それが冬の訪れを示すことを思い出すたび、ふと寒さを感じるのだった。)お前は此処で冬を越すつもりらしいが、……どうする? やはり生まれ故郷の方がいいか。……そうだな、冬の長旅はお前にはつらいかもしれないな。(そうして眉を下げると返事を待たずして筆をとり、手紙の結びに自らの名を記す。すると先ほどまで不思議そうな顔をしていたくせ、のっそりと動き出しては硯に身を乗り出し、)お、おい…!(慌ててその体を持ち上げようとしたけれど、男が筆を置くよりどんぐりが墨に、そして文に前足を置く方が早かった。ぺた、ぺた。リスの小さな手形はまるで。)……はは、まったく。(たとえ獣の気まぐれだとしても、物事に勝手な意味を見出すのが人というものだ。もれる声は何処か安堵に満ちて。)………そうか。…うん。ならば、一緒に行こうか。(遠く、鐘の音が響く。もう冬だ。)
* 11/30(Sun) 03:16 * No.2
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