9月5日 満月の夜 | |||||
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(万全の警戒も空しく今回も敵出現の兆しは無く、此れで最後と決めた夜の幕切れは、余りにも呆気ないものと相成った。けれど本当にこのまま、何もなく終わるとでも思っているのだろうか。忘れてしまったの?最大の敵は、影は、いつもいつも満月の夜、確かに彼に会いに来ていたというのに! 「まーた空振りかよ。……ザンネンだなぁ。今日で最後だってのに、」最初に口を開いたのは彼だった。口では残念だと言葉を吐き、小さく肩を落とす仕草をしてみせたものの其処に落胆した様子は微塵もなく、寧ろ紡ぐ音は口笛でも吹くように軽快に。愉しげに。「ああ、そうそ。俺、」”今日で降りるから。コレ。オマエらにもココにも、もう飽きちゃってサ。”彼の言いたい事は手に取るようにわかる。そしてその真意も、胸中も。だから歪んだ三日月は彼の言葉を遮るように、唐突にぽっかりと其の口を開いた。 ≪ナァ……ホントにそれでいいの?≫ 低く掠れた囁きは、彼の直ぐ耳元に落ちて。)仮面を被って虚勢を張った所で、所詮オマエはオマエでしかないのにサァ。(ねっとりと紡がれる声は、嘲るような響きを持って。背後からゆっくりと其の身体を抱き締めてやれば情けないくらいに彼の身体がびくりと跳ね上がり、驚愕に見開かれ碧が怯えた色を宿して揺れる。其処には何時もの余裕もなければ、不敵な笑みもない。逃げられる訳がないのに、もがいて、抜け出して、我武者羅に駈け出したその姿の何て愚かで、無様で、惨めで、滑稽なこと!)カッゲミッツく〜〜〜〜〜〜ん!!あれあれ〜?どぉして逃げんの〜〜?なんでコッチを向いてくれないの〜?アハッ、ひょっとして名前が違ったのカナァ??ココでの呼ばれ方はなんだっけ?リカくん、リカ、リカちゃん、リカワ、カゲミツ、みっつ??色んなトコで色々な呼ばれ方をしたよねえ!ナァ、覚えてる?覚えてないか!何かに執着するのはコワイもんねえ〜〜!ハハハハハハハハハハッ!!!(嘲笑せずにはいられない。袋小路の壁際へと彼を追い詰めて、伸ばした腕をスッと目尻から頬へと指を滑らせた。其れは母が子供に触れるように、慈愛すら感じさせる手付きで。)もうさぁ、可哀想で見てらんねえよ。こんな生き方しか出来ねえなら俺が解放してアゲル。……しんだらさ、誰かの記憶に少しは残れるカモしれないぜ?アハハッ!(無防備な首へと冷たい両手を掛ける、唇の端が引き上がったのを合図に其れは徐々にゆっくりと、彼の呼吸を奪うだろう。) | |||||
……俺に一体、今更、…どうしろって言うんだよ。 | |||||
(此の夜、此の場で全てが終わる筈だった。”飽きた”と一言告げれば其れで彼らの事も、ペルソナもシャドウも影時間も、心に深く残る前に、執着する前に全て忘れられると、そう思っていたのに。 唐突に耳元に落ちた囁きが、其の先を紡ぐ事を赦さない。まるで頑なに隠してきた己の全てを、笑顔の仮面の内側を見透かしたかのような声、言葉。どくり、と心臓が一際煩く鼓動する。急激に体内から血の気が引いて行く。――知っている、俺は、此の声の主を知っている。背後から回された腕に小さく跳ね上がった身体は、まるで恐怖でもしているように震えて。止めろ。止めてくれ。それ以上聞きたくない――!耳に、身体に、蛇のように絡み付く影から逃れるように、後はただ我武者羅に走った。)っ、んで、…………今更、!俺は―――おれ、は…………っ、(たくさん傷付いた。でもそれと同じだけ、傷付かない為にたくさんたくさん捨てて来た。わかってる、わかってる、言われなくたってわかってるんだ。でも――! どんなに耳を塞いでも何処までも纏わり付く影の声、遂には袋小路に追い詰められて、逃げ場を断たれた状況を打破しようと無意識に腕が召喚器のホルスターへと伸びて、気付く。”彼”は置いて来たのだと。全て捨てると決めた日から、ずっと引き出しの奥に眠らせていたのだったという事に。慈悲むような手付きに誘惑でもされたように、恐る恐ると眼前の黄金を真っ直ぐに見据える。”解放してアゲル”何処までも甘く優しい言葉に、心が震えた。)――――……ああ、(そうか。考えたこともなかったけれど、それもいいかもしれない。もう逃げる事にも、生に執着する事も、心に嘘を吐き続ける事にも、何もかも全部”飽きて”来た所だ。冷やかな手が首に掛かれば唇の端が引き上がる。まるで待ち望んででもいたように、或いは諦めたように、力なく。だけれど確かに、嗤っていた。) | |||||
…それは先輩が自分で考えないと、後悔するだけですよ。 | |||||
(当初は規則的であった襲撃が嘘のように止んで三月あまり。その静けさが嵐の前触れだと予測出来た者など、いったい何処に居たのだろう。突如として起こった異常事態に呆然とする暇もなく、司令塔の一喝に急き立てられ飛び出した無人の街。散り散りとなった6人のうち特定の誰かを追うつもりなど微塵もなかったのだが、あの中で一番放っておいたら拙い事になりそうなのは彼だろうと――多少なりとも心に掛かるものがあったのは否定すまい。尤もそれが直前に口にしていた"最後"という言葉故か、はたまた他に理由あってかまでは判断がつかないまま、漸く辿り着いた袋小路で耳にしたのは卑下た嘲笑。ここからでは両者の表情は窺えないが、それが追い詰める目的で向けられているのは明白であったから、眉を顰めると息を殺して距離を詰めた。しかし、)―――…執着。(発言の全容は計り知れずとも、耳朶を打った単語に声が漏れる。一瞬、嗤われているのは彼ではなく己ではないかと不愉快な錯覚を覚えかけるも、そんなわけないと首を振って召喚器で額を射抜けば、眩い雷光が丁度彼らの真横に落ちた。敢えて狙いを外した初撃はただの牽制。効果があるかは怪しいものだが、それでも引き金に指を掛けたまま強い視線で睨みつける)……次は当てます。今すぐその手を放して下さい。(言外に警鐘を鳴らし、見据えたのは影の更に奥、壁を背に首を絞められている彼の方。その胸中を推し量る術など無いが、追って来た身としては死すらも甘受する姿に無性に腹が立った。勿論、それが勝手な感情であることは分かっている。分かっているものの、溢れ出すのは率直な吐露で)先輩は先輩でなんでさっきから無抵抗なんですか。死ぬ…死んじゃうって…、理解してます?(責めるような問いが真っ先に口を衝いた) | |||||
…ハハ、だよなぁ。わかってるよ。相変わらずキビシイんだから。 | |||||
(――「長く誰かと一緒に居ればいるほど、離れるのがイヤになったよネ。でもそうやって何かに執着すればするだけ忘れられるのが怖くなってサァ、……自分が傷付かないタメに、たくさんの人間を犠牲にして来たよな。…オマエのキモチはイタイくらいにヨクわかるよ。だって俺は、オマエなんだから。」 そう、此れは俺。仮面を与え、魔法の言葉を教えてくれた心の中に住まう影。だからこそ彼の発する言葉は、ずっと見ない振りをし続けて来た弱い部分を自覚させられるようで、聞きたくなくて、誘惑は的確に欲しい言葉を囁いて来る。 此の延々と続く痛みから解放されるなら、誰かの記憶に残れるなら、死がとても優しいものに思えて、喉に掛かる圧力を抵抗する事無く受け入れた。酸素が断たれ眼前の金色が霞み始めた頃、しかし視界の端に眩い雷鳴が朧気だった利川の意識を引き戻す。「…ナァ、アノ子はダレ?」指の力を微かに緩めた金色が見据える先を、虚ろな碧が追い掛ける。あの子は――誰だっけ。いや、そうじゃない。そう思い込みたかっただけで、誰の事だって一度たりとも忘れた事などない。いつも何処かちょっとだけ不機嫌そうな其の声を、凛然とした青灰を、利川は確かに覚えていた。)……―あやちゃん、(如何して。と考えて、彼女の事だ、大方司令塔に言われて来たのだろうと思い至れば、不思議な事などひとつもなかった。己の眼前に居る此れは一応、特別課外活動部が敵としている影だから。 雷鳴に怯んだのか、或いは彼女の言葉に効き目があったのか、影の指先が首から完全に離れれば四肢から力が抜け落ちて、そのまま壁伝いにズルズルと地べたに座り込んでは、)……んとに、……心配性、なんだから。(遮断されていた気管に急激に酸素が入り込んだ反動でごほごほと小さく咽せ乍ら、落とした呟きは仕方ないなぁと苦笑するようなニュアンスで。咎めるような言葉を聞いても尚、口元は相変わらず嗤ったまま、)……、…そんなの、聞いてどうすんの。理解してるっていったら……俺のコト、看取ってくれんの?(吐き出す言葉は小馬鹿にでもするような、まるで嘲るような響きで以って、此れ以上此方側へ踏み込んで来るなと明確な拒絶を示した。――影はただただ、そんな利川と彼女の遣り取りを冷やかに見下ろして。) | |||||
ただの事実だと思いますが……優しく言えばいいんですか? | |||||
(風の音も聞こえぬ影時間の静寂を震わすのは、もう一人の彼の揶揄するような囁きばかり。それはこれまでふざけた印象しかなかった仲間の、知らなかった――知ろうともしなかった側面。本来であれば耳を塞いで聞かなかった事にするのが対人同士の適切な距離感というものなのかもしれないが、こんなにも力なく虚ろな彼など見たくないとの傲慢が心の何処かに根を下ろし、不必要な介入を糸川に選ばせる。脅しにも似た警告に対し、思っていたよりすんなりと解放されその場に崩れ落ちた姿にひとまず当面の危機は去れど、未だ影は月光の下で色濃いまま。名を呼ぶ声に短く頷いたのを契機にそっと近寄り、しゃがみ込むことで目線の高さを合わせたなら渋面は僅かな困惑を帯びて)あんな風に逃げ出して心配させる方が悪いんですよ。…怪我は、ないですね?(苦笑じみた呟きに対し、反発するのも認めるのも可笑しい気がして何とも中途半端な位置に着地する。傍らに仇敵たるシャドウが佇む状況で悠長な遣り取りをしている自覚はあったが、特に動きを見せぬようなら今は本人を先にどうにかすべきと判断を下し、外傷が無いか窺う視線をじっと注いだ。だが歪な嘲りが消えない口許に少しだけ目蓋を伏せると)……そういう気分が悪くなりそうな真似は嫌。絶対に嫌。(きっぱりと言い放つ。忘れられるのが怖い、と影は言っていたけれど、美しくもない記憶として残る事が互いになんの利を生むのだろう。それでも構わないと彼が線を引くのは勝手だが、巻き込まれる方としては辛いだけだ)なので理解してるならどうぞご自由に――とはいきません。どうしてもと言うなら、あたしや皆をちゃんと納得させてからにして下さい。(何時だったか、彼に空しいと告げた時のように以前の己であれば他人の問題に深入りは避けていたはず。それを何が、何処から、違えてきてしまったのかは分からないが、拒絶を示す碧を見詰める表情は至って真剣だった) | |||||
……優しい綾ちゃん…、…アハッ、だめだ。想像出来ねえ。 | |||||
(忘れられるのは怖い。痛い。もう二度とあんな思いはしたくない。だから忘れて来た。執着してしまう前に捨てて来た。魔法の言葉を唱えれば、もう嗤われる事も、痛い事もなくなると。けれど、実際は――。 怪我はないかとの言葉には無事を示すようにひらりと片手を振って応じる。何時かのような否定が返って来るような事もなく、まるで本当に心配でもしているかのように此方を窺う彼女の視線から居心地が悪そうに視線を逸らしたのは、今の己の姿をまじまじと見られたくないという事がひとつ。そして何より、身を案じるような其の視線が今の利川にはとても痛いと感じたから。優しくされればされるだけ、痛い。忘れたくないと思ってしまう。ああ、彼女の事だって傷付かない為に、忘れないといけないのに。)……ハハ、(嫌。きっぱりとした否定の言葉に、それ見ろと言わんばかりに乾いた笑いが零れた。しかし、 だったら、と利川が口を開く前に真摯な眼差しと共に向けられた言葉は想像とは少し違って。納得させてから、なんて。出来ないと知ってる癖に、だからこそ彼女はそんな事を紡いだに違いない。じゃあ勝手にして下さいと放っておけばいいものを、――いや、それすら”気分が悪い”のか。けれど利川はそれすら嘲笑う、)…………じゃあ今日でシャドウ退治ヤメるつったら、納得してくれる?だってこの活動抜けたらさ、俺と皆はもう関係なくなるもんね?……飽きたんだよ。タルタロスにも、シャドウにも、ペルソナにも……オマエらとのヒーローごっこにもさぁ。あの時に言ったっしょ、愉しめんのは今の内だって。もう愉しめねえんだよ、俺。(だから抜ける。仕方ないでしょ、俺は”飽き性”なんだから。そう紡ぐ口は平素と変わらず、いや、それ以上に饒舌に。本心を仮面の裏に隠して、ピエロは嗤う。) | |||||
――― | |||||
あーあーあーーーもうホンッット、ウッゼエなァ……。(折角静かにしていてやったのに、どんな遣り取りを交わすのかと思って見ていればこのザマだ。”飽きた”と言いながら助けに来てくれた彼女の事を忘れないでいた癖に。本当は辞めたくなんかない癖に。哀れなピエロはまた痛くない振りをして、望んでもいない嘘を吐いている。湧き上がる苛立ちを隠す事無く、ワザとらしく心底呆れたような大声を出したならぐしゃぐしゃと髪を掻き乱し、月の輝きにも似た金色の双眸を彼と彼女の目線と合わせるようにその場にしゃがみ込んだ。)ナァニが“飽きた”だよ、嘘吐き。……なにもかもホントに忘れて、捨てて、飽きちまえば楽になれたってのにヨォ。でもオマエはナニも捨てられなかった。忘れられなかった。―――忘れたくねえんだろ?ホントはさ。一時の関係じゃない、ちゃんとしたトモダチが欲しんだよナァ??いい加減素直になれよ、……認めろよ。”俺”のコト。(でも忘れられるのが怖くて彼は魔法の言葉を唱え続ける。何かに執着するから痛いのに、傷つくのに、けれどそれでも誰かの傍に居るのは、トモダチを求めてしまうのは、一人が寂しいからに他ならない。 「ちがう!……っ俺は、これでイイんだ。イイんだよ。」振り被られた拳のしかしなんと弱いこと。軽々と片手で受け止めれば、こんなものかと嘲笑う。ああ、ほんとうに、)…………どうしようもねえヤツ。 ナァ、そう思うっしょ??(それでも彼は認めない。今更仮面を剥がせない。首を傾げて同意を求めるような問い掛けは彼女へと。しかし返答を聞く気はないように、――ミシ、と、彼の拳を受け止める掌に力を込めて。)だから、俺が解き放ってアゲル。全部の痛みから。――…そういうワケでさァ、アヤちゃん。キミは黙って見てるか、帰りなよ。「リカワ先輩は手遅れデシタ」ってサ。(にこり、嗤う顔は確かに彼と瓜二つだった。) | |||||
失礼ですね。あたしだって時と場合によっては…少しぐらい…。 | |||||
(飽きた。愉しめない。投げ掛けられた言葉に真っ先に抱いたのは得心だった。彼が最後と言っていた意味も、召喚器や腕章を持たない理由も、ペルソナ使いという共同体から離れる為だったと思い至ればすんなりと腑に落ちる。しかしそれと同時に湧き上がるのは酷く複雑な感情で。哀しさか悔しさ、或いはその両方を湛えた双眸が俄かに揺れた)飽きたから辞める?関係なくなる? 先輩から見たあたしたちはそんなに薄っぺらい存在だったなんて……馬鹿にしないで。(完全に据わった眼差し、一段低さを増した声。良くない兆候だとの自覚はあっても心の海に投げ掛けられた一石は波紋を打って荒れ始める。確かに自分たちは友人と言うには遠く、知人と称するには秘密を共有し過ぎているあやふやな関係だ。だが他ならぬ彼自身に否定されては何の為に必死になっているのか分からなくなってしまうと、引き結んだ唇からそれ以上の言葉が溢れる事はなく、代わりに重苦しい沈黙を破ったのは今まで黙り込んでいたもう一人の方。嘘吐きとの発言に己の憤りは多少落ち着いたが、拳と掌が噛み合わさる様はまったくの堂々巡りでしかない)…、……どうしようもないとは思いませんが贅沢だとは思います。少し手を伸ばせば友達でも何でも得られるものを、そうやって見逃し続けるのは贅沢ですよ。(再三の嘲りを見遣って、微かな吐息と共に吐き出す声は勿体ないと言わんばかり。同じ高さに見る彼と影は鏡合わせ。裏と表。正位置と逆位置。けれど――真逆の主張に反して己に突きつけてくる結論は同一に違いなかった。見捨てろと、これ以上関わってくれるなと、それが偽らぬ彼の本心なのかと考えれば歯噛みして。でもやっぱり納得できないと我儘に頭を振る)執着の、何が悪いんですか。大切なものを持つ事の何が――。あたしが利川先輩を引き留めたいと思うのは、そんなにいけないことですか……っ。(だって誰かに去られるのは辛い。手遅れだとも思いたくない。仮面は外せるから"仮面”であるように、説得と言い訳の術を失った糸川は終いに正直な本心を紡ぐしかなかった) | |||||
ふぅん。…じゃあ俺のコト、試しに優しく慰めてみてよ。 | |||||
(違う。と、そう即座に否定出来たなら。大きな存在になろうとしているからこそ、なっているからこそ怖いのだと、素直に己の心を打ち明けられていたら影がこんな風に現れる事も無かったに違いない。油断すれば直ぐにでも溢れ出してしまいそうになる感情を仮面の裏に仕舞い込み、向けられる眼差しを、静かな憤りを、まるで其れが己への罰だとでもいうように、反論を返す事もなければ視線を反らす事もせず、ただただ利川は黙って受け入れるだけだった。 ――閑散とした場に広がる沈黙を破った影の声は偽り続ける利川の努力を嘲笑うように、仮面に隠し続けてきた知られたくもない本心を吐露し続ける。振り上げた拳は影に届く前に意図も容易く捕えられ、其処から逃げ出す事も叶わない。圧が掛かれば骨の軋む痛みに微かに顔を顰めるも、それよりもずっとずっと痛い言葉に、遂には力無く顔を俯けて。)伸ばした所で傷付くだけだってわかってんのに……手を伸ばす馬鹿なんて、いねえだろ。(彼女の言う事は正論だとわかっている。けれど、例えば割れた硝子に素手で触れれば怪我をするのがわかっているように。利川にとって友人を得ようとする行いは、割れて砕けた硝子に触れる行為に等しく、落ちた声は理解できないというように、自嘲にも似た吐息と共に。己が如何にどうしようもない、愚かで弱い人間であるかは、利川自身が一番良くわかっている。己が己を諦めているというのに、けれどそれでもと彼女は頭を振る。それはまるで、 )――――…んで、そんな……期待させるようなコト、言うんだよ。執着すると離れた時に、…忘れられた時に、辛くなるだけだってのに。(鼓膜を震わせた音は酷く弱々しい、其れは初めて聞く、声だった。言葉だった。思わず俯けていた顔を上げて、彼女を見据える唇が、声が、戸惑いに染まり微かに震える。大切なものを持つ事は悪いこと。執着すれば傷付くだけ。さんざん経験して来た。けれど此処なら、彼女なら或いは――と。そんな、浅はかな期待を抱きそうになる心を叱咤する。彼女もきっと口先だけだと。でも、本当に――?) | |||||
……試しに、なら、頭でも撫でてみましょうか。普段は手が届きませんし。 | |||||
(背けられた横顔に覚えた胸の痛みは何に起因するものだったのだろう。怒りに駆られて彼を非難してしまった所為か、それとも彼が否定しなかった所為か。どちらにしても感情に振り回されるばかりで肝心な事が何一つ伝わっていないのは明白である。長年染みついた意地っ張りな性分と上滑りする言葉を今更になって持て余しつつ、躊躇いがちに伸ばされた指先がやがて控えめに掴もうとしたのは影の袖口。受け止めた拳を力によって拘束し、自らを傷つけんとする痛々しさを制止したい一心で取った行動だったが、彼に――彼らに拒まれないかどうかは未知数だ)……いますよ。ここに。その理屈で行くとあたしはかなり大馬鹿な真似してると思うんですけど、違いますか?(だから重ねた呟きは反論ではなく、自らの愚かさを認めるただの主張。確かに彼の意見の方が道理なのだ。誰だって血を流すのは嫌だろうし、割れてしまった硝子をかき集めても無価値でしかない。しかし何事も諦めきれないのが己の執着で、浅ましさで、いつの間にか彼や仲間も死守したいと願う対象に入っていた。そのことを咄嗟に口にした言葉で気付くとは少々遅かったのかもしれないが、返ってきた反応は見慣れた嘲笑ではなく明らかな戸惑いで、ゆっくりと目を見張る。「なんで…って、」そこまで考えてはいない。ただ僅かでも希望があるなら足掻いてみたいと、自らの思考の根源を測り損ねたまま唇だけは勝手に答えを紡ぐ)あたしには先輩が必要で……それを、信じてほしいから……?(言っている本人が不可解に首を傾げるとは妙な話だが、彼とは最初から馬が合わなかったし、今でも見ていると苛立ちが募るのは事実だ。故に単純な仲間意識と繋げて良いのかは分からないけれど、ぽつりと音に出してしまえば残る気持ちはシンプルに「ここにいてほしい」と、それだけ。行動から数歩遅れて進んだ自覚になんとなく面映ゆい気がして視線は足元へと。決まりが悪そうにか細い声だけが続けて)でも、どうすれば信用してもらえるのか分かりません。忘れないと約束するのは簡単ですが、それでもまだ辛いのなら――…教えて下さい。先輩のこと、覚えていられるように。 | |||||
…信じらんねえ。綾ちゃんが素直だ。…明日雪降るんじゃねえの。 | |||||
……………いつか後悔しても知らねえよ。(小さく場に落ちた溜息には矢張り理解ができないと呆れこそ滲んでいたけれど、浮かぶ微笑に嘲りの色はもう何処にも見当たらない。こんなどうしようもない臆病者にまで手を伸ばそうとする彼女は確かに馬鹿だと思うけれど、でも、そんな馬鹿に己もなる事が出来ていれば少しは世界も、今と変わって見えていただろうか――そう思うと彼女の怪我を恐れない心が、勇気が、少しだけ羨ましくて。馬鹿だと笑い飛ばす事なんて、出来なくて。腕を捕らえる影の力は僅かに弱くなったが、しかし拘束が解かれる事はなく、耳を塞ぐ事も逃げ出す事も叶わない。意図も容易く欲しい言葉を囁く彼女へ戸惑いがちに投げた問いは、しかし思わぬ形で返ってきて――この時ばかりは戸惑いも何もかも消え失せて、ぱちりと思わず瞬いた。)……、……そこは、言い切って欲しかったなぁ。(数秒の間の後、利川のかんばせに浮かび上がったのは困ったような笑顔だった。疑問符すら付く曖昧な言葉だけれど、思えば己と彼女の関係なんてそんな程度のものだったと自覚すれば、此れ以上素直な言葉も無いだろう。だから、「……長く、なるけど。」今なら仮面も、外せるような気がした。)俺の両親は忙しいヒトでさ、昔っから俺は家に独りで居んのが当たり前で。…ホント、息子の存在なんて忘れてたんだと思うぜ。だって構ってもらった記憶、ねえもん。――だからかな、そんな中で傍に居てくれたトモダチの存在に、スゲエ執着してた。ケド数ヶ月もすりゃ住むトコが変わるような生活してたからさぁ、トモダチが出来てもスグに引き離されて。そうやってドッカで誰かと別れる度、決まり文句みてえに再会の約束を立ててたんだけど、久し振りに会いに行った所で……わかるだろ?(滔滔と語る口調はまるで冗談でも紡ぐように軽やかに。吐き出す言葉が本心であればある程嘘臭くなるのは、心を誤魔化す為に長年続けて身に付いてしまった利川の癖のようなものだった。戯けたように肩を竦めて、一呼吸。)…何処行っても俺のコトを覚えてたヤツはいなくてサ。……ま、そりゃそうだよな、仕方ねえよ。俺がアイツらと記憶を共有したのはたったの数ヶ月、んなチョット遊んだ相手のコトなんて覚えてるワケねえのに、俺は「忘れない」って約束をバカみてえにずーっと覚えてて、信じてたワケ。離れててもトモダチだ、なんて夢物語をさ。 で、勝手に裏切られたみたいな気分になって、皆が忘れてんのに俺だけが覚えてるなんてなんかバカバカしくなって、そしたらスゲエ空しくなって……何度も何度もんなコトを繰り返している内に、――ナニかに執着すんのが、怖くなった。 だから、何かに執着しそうになったら”飽きた”って全部、忘れるコトにしたんだよ。……ほんとは、俺のコトを覚えててくれる…………トモダチが、欲しかっただけなのにな。傷付くのが怖くて、逃げてたんだ。…ずっと。(口にすると改めてわかる己の愚かしさに、ぐ、と込み上げて来る感情を堪える様に握った掌に爪を立てる。一呼吸、二呼吸。心を落ち着けるように置いてから、彼女を見据える顔には自嘲にも似た笑みが滲んだ。)―――…以上、臆病で愚かなピエロくんのお話デシタ。 っとに…救えねえ、だろ? | |||||
前言撤回します。明日は雪じゃなく、突然の落雷に気をつけて下さいね? | |||||
……何もしないで悔いる方が嫌ですから。(知らないと吐き捨てる言葉の割に、彼の声には気遣うような気配が感じられた。視界に入った笑みも見たことがないような凪いだ空気を湛え、それがひどく優しく映るのが釈然としない。純粋に嬉しい気持ちを苦々とした表情の下で押し殺したなら、一先ず待つことにしたのは相手の反応。当人ですら明言できない曖昧な感情を告げた以上、大方返ってくるのは怪訝な顔だろうと思っていたのだけれど――結果として彼の一言は糸川の顔を上げさせるのに充分で、真正面から捉えた笑顔はこの数ヶ月の印象を一瞬で覆す。それは些細で、劇的な変化。こんな表情も出来る人だったのかと、そう思うこと自体が理解の一歩だ)……、救えないとか…そういう風に自分を卑下するの止めてくれますか。不愉快です。(長いと前置きされた話を、横槍を入れるでもなく急かすでもなく黙って聞き入り、まず真っ先に口を衝いたのは最後の戯言に対する不満だった。同情でも共感でもなく手厳しい声音として成したなら、視線は二人の青年を交互に巡って、最終的に沈痛な面持ちで以て伏せられる。文句を言うために彼の心を暴こうとしたのではない。またしても感情的になっていた事実に思い直し、再び開かれた双眸はひたと両者へ据えられて)ううん、違う、そうじゃなくて――…少なくともあたしは利川先輩が愚かだとは思えません。逃げだと分かって話してくれたならそれはもう弱さじゃない。認めることが出来るならそれは……決して臆病ではないんです。(冷たくあしらうのには慣れているが、必要なのはその真逆となれば選び取る言葉はなんともたどたどしい。他人でしかない身にはその心境を、苦悩を、理解するなど無理な話なのかもしれないけれど、それでも彼が彼の言う通りの救いようのない人物だとは思えなかった)それに…、人には手放すことが出来る強さも……必要なんですよ。(ふと、焦がれるように揺れた瞳は何の為だっただろう。小さく紡いだ一言は哀切にも似た響きで夜気に溶ける。だが異変は一瞬のみで徐に膝を打って立ち上がったなら、視線は不気味に輝く月と静かな周囲の景色を撫で、見下ろす形で向き直り)――で、飽きたと言っていたのが大嘘なら、ピエロさんは結局どうしたいですか? 友達ならここでも作れますし、あたし個人に関しては、もう忘れてあげる気なんてないですけど。(何故か偉そうな態度で問うた) | |||||
そうそ、それでこそ綾ちゃんだよネ。じゃ明日は一日寮にこもってるカナ。 | |||||
(不愉快だ。と、落ちた言葉はまた手厳しい乍らも尤もで、返す言葉も浮かばない。けれど刺々しい其の言葉はヒトを傷付ける為というより、寧ろ其の逆の意味を以て紡がれているのではいのかと感じてしまうのは、附せられる間際に見た面持ちはまるで悔いるように沈痛であったからか。とはいえ其れを不器用な思い遣りと捉えるのは少し自惚れが過ぎるかもしれないけれど。 続くたどたどしい声も彼女なりに気を遣って言葉を選んでくれているからに違いなく、向けられた言葉も然る事ながら、己へと向けられるそんな些細な気遣いが、利川には嬉しかったのだ。)………、…まあ綾ちゃんに話す前は認めたくなくて、気付かない振り、してたんだケドね。だからコイツが生まれちゃったワケだし。でも……もう、逃げねえよ。――…オマエは、俺だったんだよな。(仮面の裏に隠し続けて、ずっと見ない振りをし続けていた本心。彼女の言葉に後押しされるように初めてちゃんと向き合って、真っ直ぐに見据えた異なる金色は、先刻よりもずっと柔らかい光を宿していた気がする。告げた言葉に満足したように、影が笑う。≪…魔法の言葉はもう、必要ねえな。≫淡い光に包まれた影はやがて夜の闇に、いや、己の身体の中へと解けるように消えていった。じん、と心成しか胸が温かくなったような気がしたのは、きっと気のせいではない筈。――それに。そう続けられた言葉に含まれた感情は、在りし日を想う様に揺れた双眸が焦れたものとは、一体何だったのであろう。ただひとつわかったのは、彼女もまた、何らかの思いや悩みを抱えているのかもしれないということ。しかしその話題を切り出さなかったのはまるで触れられるのを避けるように、何事もなく立ち上がったからに他ならず。)――俺は、(はたと言葉が其処で切れたのは、先を紡ぐ事を躊躇したからではない。此処に居たい。残りたい。当たり前のように脳裏に浮かんだ言葉たちに、そんな事を思うようになった自分自身に、驚いた故に。正直に言うならば手を伸ばす事はまだ怖い。傷付く事への恐怖も、忘れられるかもしれないという不安も、無くなった訳じゃないから。けれど、と、満月を背にする彼女を見上げる利川の表情に、迷いは無かった。)…誰かさんに「必要です」なぁんて言われちゃったしサ、残らねえワケにもいかねえだろ。 あーでも桐条のヤツにヤメめるからとか言っちまったんだった、……早えトコ撤回しに行かねえとマジでお別れーなんてコトになっちまいそ。そん時は綾ちゃん、桐条の説得ヨロシクネ。(思い出したように言葉を紡いで、やっちゃった言わんばかりに戯けて後頭部を掻く姿は、口で言うほど重く受け止めてもいない様子。調子よく紡いだお願いはこれまた軽いウィンクと共に落ちる。其れに対する彼女の大凡の返答を頭で思い浮かべながら、利川も漸く立ち上がって。)――…んじゃそーいうワケで、他の皆も心配だし、同じように心配もしてるんだろうし、戻ろうぜ。今日はもう綾ちゃんも疲れたっしょ。(唇を彩る笑みにはもう既に普段と変わらぬ余裕が滲む。此処からの撤退を促し、彼女を先導するように歩みを進め――その前を横切った刹那、落ちた小さな囁きは、彼女の耳にのみ届く筈。)俺、一度執着しちゃったモンに関してはスゲエ諦め悪いからサ。……だから色々、覚悟しといてネ。(忘れたなんて言ったって、もう逃がしてアゲナイ。悪戯に口の端がにやり、釣り上がる。この言葉の意味をどう彼女が解釈するかは自由だけれど、利川の執着の対象に彼女が加わったという事実は伝わるだろう。そうして彼女の横を抜ければ足は寮への帰路へ向けて進みだす。彼女が着いて来ているか否か、確認するべくわざわざ後ろを振り返る事はないものの、歩調は何時かのように彼女が追い付けるようにゆっくりと。 これから一体どうなっていくのかなんてまだわからない。脳裏から声が完全に消える日なんて来ないだろう、けれどそれでも、今利川の見据える明日は、確かに明るかった。) | |||||
先輩こそ、それでこそですよね。……少し、少しだけ、安心しました。 | |||||
(――影が消える。分かたれていたふたつがひとつになる。以前の常識で考えればとても現実的とは思えない不思議な光景は、異質な闇が満ちる影時間の中にあって尚、あたたかで前向きなものに感じられた。自己すら傷つけんとする負の側面を彼が受け入れた事に、良かった、と安堵の吐息が漏れる一方。胸裏を占めるのは眩いものを見る時に似た強い羨望と、その陰に蔓延る後ろめたさで、ゆっくりと溶け出しそうになる昏い感情に蓋をする。人の心から生まれるシャドウ。歪な黄金。"彼ら”の中にあったものが自らにも眠っていない保証など何処にもないと頭で理解はしていても、未だその事を口に出来ない卑怯者がはたして彼を引き留めて良かったのかは分からない。だが今は、今だけは、好転したこの状況を素直な喜びとして甘受したくて、平素よりだいぶ和やかな所作で首を振った)先輩は、あたしなんか押し退けて逃げ続けることだって出来たんですよ。でもそうしないで話してくれたのは……やっぱり臆病じゃない証拠だと思います。(幾らペルソナを喚べなかったとしても、彼が本気で去ろうと思えば此方の妨害を退けるなど容易い筈だ。ついでに言えばあれは一応シャドウだったというのに、全く危害を及ぼされていない事実を思い返したなら手元の召喚器を見下ろして、もしかしてその程度の情は持たれているのだろうかと、自惚れた方向に傾きそうになる思考を強引に断ち切る。結果、彼の答えを聞く表情は何時も以上の不機嫌で、加えて米神を片手で押さえる様は呆れているようにも見えるかもしれない。否、悪びれもしないウィンクには、実際少しの頭痛を覚えたかもしれないが)…その発言、忘れろとは言いませんが蒸し返すのは控えて下さい。恥ずかしい。……桐条先輩は話せば分かってくれる人だと思いますし、先輩がやったことなんだから一人でけりをつけるべきだと思いますが――…いざという時の口添えぐらいなら、協力しますよ。(ぞんざいな言い草に反して突き放し切れていないのは、残らせてしまった責任という建前もあれど、矢張り彼の存在が欠けてほしくないという一点が大きい。ただしそう思う所以は未だ霞がかって不鮮明なまま。勝手に動く感情に戸惑う理性は置き去りにされて、けれどそれも悪くはないと思ってしまう自分がいる)この場合、疲れたのはあたしよりも先輩の方では。でも、そうですね、皆も無事だと―――……、(立ち上がった相手の声に促され、首肯しながら召喚器をホルスターに仕舞い込んでいた刹那、擦れ違いざまに落とされた囁きに、一瞬耳を疑った。「なに…が、」と唇の動きだけで咄嗟に呟いたのは、悪戯なそれがある種の宣戦布告に聞こえたからで、しかし意味を問い質す事も出来ぬまま驚愕溢れる視線が前を行く背中を追う。そうして気づいてしまった。駆け寄れば簡単に縮まるであろう距離と緩慢な歩みは、彼なりの気遣いなのだと。以前は気にも留めなかった事実を何故今になってと、胸に尋ねても答えは出ない。ただ何かが少しずつ変わってきている予感だけを抱いてその場を後にする糸川の脳裏で、――くすくす、心の奥底に眠る誰かの笑い声が木霊していた) |
9月5日 満月の夜 | |||||
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(何度目かの月が満ちる日、何の予告もなしに自らを明らかな異変が襲った。沸き上がる不吉なもの―己が心に仕舞い込み、頑なに封印しようとしてきた醜い闇。そして其れは皮肉にも自分とそっくりなシャドウとなって真壁の前に立ちはだかった。其の口許はぐにゃりと奇妙に歪められ、気味の悪い笑みを形作る。)ねぇ、好きなものを我慢すると体に悪いよ?本当は好きなんでしょう?止められないんでしょう?貴女には其れが“普通”なんでしょう?(何の事を指しているか、目の前の少女だけが解る筈。其の証拠に―ほら、また性懲りもなく逃げ出した。何て無様な格好だろう。くすくすと嘲るような笑い声を上げながら、其れは歪な笑みで追いかける。何処までも、何処までも、影のように。でも中途半端に逃げるから、其れを捕まえる事なんて造作もないのだ。抵抗して見せても、何処かで安堵している事だって分かっている。其の甘さも脆さも誰より熟知している、だって貴女は私だもの。他の誰にもなれないもの。)…あは、逃げられるって本気で信じてるの?貴女が本気で逃げられた事なんて一度もなかったくせに。逃げたふりだけは上手くなったよね。貴女がいつも何を見てたのか、私はよく知ってるよ。だって私だもん。――其れでも否定するの?まだ“普通”に紛れようとするの?(捕らわれた彼女が何を言おうが、笑う女には聞こえない。何も聞こえない。「だから、馬鹿で可哀相な“私”を助けてあげるね。」とびきり優しく歪んだ笑顔で少女の長い爪が真壁の首に伸ばされ―そして、其れは容赦なく首に食い込まれようとする。) | |||||
これも逃げ続けてきた罰ってやつなのかな…。 | |||||
(其の時の体中が粟立つ感覚を二度と忘れられないだろう。長い爪も不自然に抜けた眉までそっくりだ。目は冴えているのに、地獄の中で悪夢を見ている心地だった。異変を感じた次の瞬間にはもう彼女は其処に居て、己の心に冷たい刃を埋め込みながら迫ってくる。無我夢中で逃げ出して、伝う涙の存在すら気付かずに走って、必死で駆けて―足を止めた時にはもう巌戸台駅の付近まで来ていた。逃げたくても、もう先に進めなかった。其処には自分と瓜二つのシャドウと対峙し、仕方なしにペルソナを呼び出し戦闘に突入―しようとしたが、出来なかった。どれだけ唱えてもペルソナは現れない。他に手など思い付かず、状況は正しく絶体絶命。其の上、彼女から畳みかけられるように重ねられた言葉“何を見てたのか”――誰にも知られないようにしてきた事を彼女は知っている。逃げるふりを続けてきた事も、大嫌いな自分の事だって全部知られている。其れを言葉にされるのが―嗚呼、たまらなく痛い。苦しい。耐えられない。顔を涙でぐしゃぐしゃにして、我を見失った女は叫ぶ。)……っ、止めて!違う、違う、ちがう…!逃げてなんかない…!私はちゃんと向き合ってきたの…!(けれど、其れが何の意味も持たないなんて言う前から分かっていた。でも必死に拒絶しなければ、認めてしまえば全て終わりなのだ。いっそ此処で殺されてしまう?終わってしまう?抵抗しなければいけない?――でも、此の先に明るい未来があるだなんて如何して信じられようか。心まで夜より深い闇に塗り潰されていくようだ。自分はそうと気付くずっと前から疲れていた。助けてほしかった。だから、己の心の醜い部分だけそっくり取り出したような彼女の長い爪が己の首に食い込もうとする瞬間―真壁の心に生まれた迷いが抵抗を阻んだ。) | |||||
……自分自身の手で下される罰、ですか? | |||||
(重厚と満ちた月を裏切る静黙な夜に安堵を懐き始めれば途端に緩む心は、不安を宿して周囲を見詰める瞳とは裏腹に湧いた食欲で注意が逸れる。二度の満月と同じ結果に至る事を予期して飢えを覚えた腹部をそっと掌が摩り、漫ろになり始めた頭を引き締めねばという意識の芽生えとて――月の如き瞳を持った存在を捉えては、全て驚愕に吹き飛ばされる。突如生じた存在に適応が遅れて呆然と見送った姿を、時を裂く声で異常さと緊迫感を自覚しては漸く、駆ける。あれは、彼や彼女と瓜二つのあれらは、まるで。宛の分からぬ行方ならば自ずと足は慣れた道を選んで駆ければ、事態への理解は据え置き兎にも角にも追った先には、)真壁せん、ぱ…――っ(遠目に捉えた二者の影に目を眇めて認識した彼女の名前は、其処で交わされる言葉よりも何よりも両者の姿に声を欠いた。思考よりも前。召喚器に手伸ばす事さえ頭に浮かばぬ身体は黄金の瞳を持つ影へと握り慣れた槍と共に全力での突進を選ぶ。穂先を彼女の身に突き刺す事への躊躇か、石突を突きつけての向う見ずな突進が微かであれ、"彼女"の手を彼女の首から少しでも離れてくれたのならば、兎にも角にも雪崩れ込むように"彼女"と彼女の間に割って入るのみ。)……っ先輩、どいて!…くだ、さい…!(無様な介入は背後の彼女をも巻き込んでしまったかもしれないけれど、崩れた体勢で勢いのままにまた長い得物を横に持ち"彼女"へと押し付けて、らしからぬ声量で叫ぶ。見たままの判断を脊髄反射での実行が彼女達にとって如何であれ、己のそれが攻撃には至らずとも少しでも距離を稼ぐ猶予を得られればと、張り上げた声はどちらの彼女にも宛てたもの――) | |||||
自分を罰したら、他人に罰されるよりもつい甘くなりそう…。 | |||||
(嗚呼、自分は此処で死ぬのか―朦朧とした中で諦観にも似た思いを抱きながら全身の力が抜けていき、意識を失いかけた瞬間。勇ましく突っ込んできた何かによって首に伸びた手の力が緩められ、反対に意識が戻ってくる。其処に居たのは、必死に髪振り乱して戦う彼女の姿で―驚きに大きく目を見開いた。)……藤澤、さん…?…っ、……ど、…して…。(急に解放されると息が苦しく、咳き込んだ。空気中の酸素を貪るように吸い込みながら、彼女の果敢な攻撃により命拾いしたのは事実。微かに発された“ごめんね”は何に対してだったろう。気持ち悪いほど己にそっくりなシャドウが彼女に危険を負わせた事か、それとも其れへ抵抗する気が失せていた事か、全てを諦めようとした事か―とにかく、必死になって彼女に助けられるだけの資格を持ち合わせていると思えなかった。突き飛ばされた痛みが生を実感させても、影の存在が真壁を蝕む。――其れでも彼女の言葉に導かれ、ふらふらと黄色の瞳のシャドウから何とか距離を取れば、涙の残る顔でぐっと睨み付ける。まるで己の弱さの化身を憎むように。)…何なの、あなたは一体何なの…!お願いだからもう消えてよ、ねえ…!(悲鳴を上げるみたいに物凄い剣幕で吐き出した其れは影の自分に向けるならばひどく残酷な言葉。己の全てを見透かす存在が其処に居る事がたまらなく嫌だった。こんなに醜い姿を見られたくなくて、でも武器も持たずペルソナも呼び出せず―現状、彼女に頼る以外に方法がなかった。あまりの情けなさに止まった筈の涙がまだ出てくる。そして助けてくれた彼女へ伝えたのは感謝ではなく、)……藤澤さん、…危ないよ。……もう…逃げて…?(其処に平素のような明るさは何処にも宿らず、夜中に後ろ向きな事ばかり考えてどん底まで落ち込む時の其れだった。) | |||||
私もです。罰の内容を考えるのにも…一苦労しそうです。 | |||||
(どうしてとの回答に繋がる行動原理は食い縛った歯のお蔭で真一文字に引き結んだ口から出ることはなく、考える余裕もないと恰も当たり前のような理由で自らの思考の矛先さえも変えてしまえば、口から飛び出した言葉は彼女と"彼女"に宛てたもののみ。状況は不明。けれど、今は空腹を感じることはない。背後の気配が少しでも遠退いた事を知れば、人並の力なれど全力で押し返しては自分も暫し対峙した目前の"彼女"から距離を取る――庇うように彼女の前に立ち、視線を黄金の瞳に向けた儘、それでも構えた穂先の扱い方の判断が出来ずに挙動を窺った。)……どうして、真壁先輩と同じ姿をしてるんですか(割り込む直前に断片的に拾った遣り取り。背後から声に乗って伝わる動揺。空に輝く月の満ち方がシャドウという単語を脳裡に並べれば、単純に今までのそれらと同等に分類しているが故の疑問を彼女の訴えの後に問う―そんなことは槍を握る力は知らぬというけれど。目の前の彼女が倒すべき対象ならば選ぶ選択はひとつとして向き合う最中に聞き慣れない声音が呼んだ名前に、ぴくりと動いた指先が彼女に見えたか如何かはわからない。ただ、危ないから逃げてとの声に返すのは、)…いや、です。…先輩が逃げないなら、私も逃げません(短くはきと明瞭に発した否定は彼女に背を向けた状態で、軽く首を左右に振り。抵抗も戦意も感じられなかった先刻の光景に加えて、今の言葉がまるで自分だけに逃走を促すようにも思えれば尚の事この場を譲る気にはなれそうにない。)……大丈夫ですよ、先輩。(何がの欠けた言葉は根拠無く響き、微かに弧を描く口許が紡ぐそれは状況に不似合な安穏さを伴って紡がれる。黄金色の瞳を見詰めながら、二者の間に割り込み立ち塞がったままに―) | |||||
――― | |||||
(突然、予期せぬ存在に割り込まれた影は動かない。にいっと持ち上げ、歪んだ口角は嘲るように阻まれた奥の弱い存在を一瞥する。けれど、槍を手にして立ちはだかる健気で勇敢な彼女にも、其れが向ける瞳は冷たく色を持たなかった。)……どうして?だって、私も“真壁香澄”だから。同じ姿をしているのは当たり前じゃない。そうでしょ、香澄?(わざと耳障りな笑い声を上げ、自らの顔に伸ばされた手が乱暴に疎らな眉をぶちぶちと数本抜き、其処にはまた不自然な色の濃淡が出来る。悪しき癖からも逃げられないと突き付けてやれば、ほらまた“私”は言葉を失った。取り繕う事を忘れたらこんなにも暗くて面白味のない人間が顔を出すのだ。――其れでも、本人が逃げろ言えども彼女は引かない。其ればかりか、あまりに心強いだろう言葉さえ投げてくれる。何と綺麗なのだろう。だが勿体ない、其の強さを使う相手を間違えるなんて。そう思えば、自然とまた悪役さながらの笑い声が漏れるだろう。)ふ、あはっ、ははははっ。…こいつは大丈夫なんかじゃない。異常でどうしようもないよ。其処はちゃんと分かってるよね、ふふふ。(愕然と其の場に立ち尽くす己の存在を軽蔑するように指差しながら、可笑しくて仕方ないといった様子で歪な笑みがどんどん深まる。向こう側の女にとって異常という言葉がどれだけ嫌な響きを持つかも知っている。馬鹿にしたようなうすら笑いは消えない。)ねえ、こいつを守っても感謝なんてされないよ。こいつは弱くてすぐ崩れるから、助けても意味がない。またすぐに壊れるだけだよ。面倒に巻き込まれる前に、後悔する前に…さっさと帰ったら?(事実、彼女に庇われている“私”からまだ感謝の言葉は一言も出ていない。寸分の差で殺されていたかもしれないのに、命を救われたのに―吐き捨てるように、もう一度「帰って」と繰り返した。) | |||||
気持ちの面では誰かを罰するよりマシだけど、ね。 | |||||
(彼女に庇われる事で浮かぶのは感謝より先に申し訳なさだった。問いかけに答えたのは自分ではなくシャドウだったが、其の答えに納得してしまった。そして更に紡がれる言葉に耳を塞ぎたい衝動に駆られ、必死に目を背けようとする。でも何度背けても其の姿は目の前に現れる。逃げる事を拒むように、向き合う事を強制するように。そして影に嘲るように同意を求められても、喉に絡みついて言葉が出てこない。――突き放す為の言葉に対する毅然とした音色に安堵して、けれど絶望もして。静かに逃げ道が断たれていく。其れを振り払うようにふるりと雑に首を左右に振り、)…無理だよ。私はどれだけ必死になっても“これ”からは逃げられない。何時までもしつこく追いかけてくるよ。…それなのに戦おうとか、立ち向かおうとか、…頑張って生き延びようとか、そんな風にも思えないんだ。…だからね、藤澤さんに守られる価値なんてないよ、私。(諦観を内包した口許だけの薄っぺらな笑みを浮かべ、彼女の先の其れにそっと視線を向けて。――優しい“大丈夫”を素直に聞き入れられる自分ならよかった。そうなりたかった。でも、動き出した重い口は全く別の言葉ばかり紡ぐ。体と心がバラバラになったみたいに上手く噛み合わない。)……、……。ううん、違う。違うよ。そうなの、大丈夫なんかじゃないんだよ、全然…。(彼女の言葉が強くて優し過ぎて痛い。眩し過ぎる。誰よりも自分が否定しているから、目の前の存在は消えない。そして「帰って」と恩知らずな影の言葉を聞いても、真壁は何一つ反論しない。事実だった。彼女が優しいと知っているから、だから余計に怖い。其の言葉に縋りついて、勢い任せに全て吐き出しそうな弱い自分も怖かった。其れでも彼女を遠ざける為の実力行使に出られないのは何処かで頼りたい気持ちを捨てきれずにいる証でもあり―嗚呼、自分に甘過ぎて嫌になる。真壁が一歩後ずさればシャドウも一歩前に出て、彼女を挟んだ位置関係は変わらない。) | |||||
………、…罰って、何でしょうね。先輩にとって、これは罰ですか? | |||||
……貴女も、真壁先輩(模倣や擬態ではなく同一の存在であると語る冷えた瞳を見返す目が微かに瞠れど、彼女達が生まれた状況を思えば"彼女"の言葉を繰り返す。抜毛行為に知らず眉根を寄せながらも、自分の知る彼女とはまるで印象が違う姿を前にしたまま動く事は出来ない――彼女も"彼女"だというのだから。それは余計に己にとっても不穏を誘う状況であることを秘めたまま、間から立ち去る事も無い。)先輩。なら、私は…ただ邪魔をしてるだけ、です。だから、…そんなことしりません(彼女を襲う"彼女"にとっても、それを受け入れようとする彼女にとっても、己の立場は余計な第三者に過ぎず。そもそも守るだなんて立派な言葉は決して自分には適さないのだから、少しだけ背後を振り返って彼女に告げる。寄せた眉根の皺を解いて代わりに下がる眉尻と共に。無責任な大丈夫に響く笑い声は耳慣れぬ響きに自分の背後を指差す"彼女"を見詰めては、ひとつの単語だけが耳に残り、)……異常、なんですか?(肯定も否定も好悪も籠らぬただの疑問の形を成した問いを、背後を見返して尋ねよう。自分には人を異常か正常かを判断出来るような頭は無いのだから、大丈夫に対する否定よりも何よりも其処にのみ静かな問いかけを生む。無論、受け取り手の受け取り方に因って言葉は棘にも何にでもなるだろうけれど。異常との言葉が嫌に貼り付いた頭で同じ顔を両方とも見返した後に、二者に宛てて振る首は左右に。)……大丈夫ですよ。いたいからここにいるだけなので、帰りません。…え…と…むしろ…その、少しだけでいいので…――仲間に、入れてください(戦意の矛先は見失って得物を掴む力も先程よりもずっと弱まった。同じ単語を繰り返すと彼女たちの望まぬ返答を躊躇いなく声に乗せて、それから。常の如く口籠るような声を出しては、場に似合わぬ言葉を下がり眉と微笑と共にゆっくりと音に乗せた。間に割り込んだ儘の二者に宛てて、冗談のような言葉をゆっくりと確かに口にして、お願いに対する反応を窺おうか。彼女達が共有する場に混ぜて欲しいと。) | |||||
罰…だと、思ってたけど。それだけじゃないのかも、しれないね。 | |||||
…何、言ってるの…そんな、…。(己の酷い様子や言葉を目の当たりにしても、其れでも彼女は引かなかった。ぐっと言葉に詰まる。如何して「邪魔」の単語にこんなに救われたがっているのだろう。)入らない方がいい仲間なのに…。…藤澤さん、ほんと…お人好しだね。(涙の残る目尻を下げて泣き笑いのような表情が浮かぶ。でも、何故かもう拒めなかった。彼女にならば全て話しても“大丈夫”になりそうな気がした。)……――なの。…私ね、……女の人が好きなの。女の人しか、好きになれないんだ。(現実で誰かに面と向かって打ち明けるのは初めてだった。ついさっきまでそうする気もなかったけれど、彼女の余りにも場に不釣り合いな言葉で口が勝手に動いた。そして実感する。ずっとこうして悩みを話したかった。)皆が自然に男の子を好きになるように、私には女の子に恋するのが普通だった。初めて本気で恋したのは…中学の女の先生だった。其の先生の全部が可愛くて、優しくて、私の理想そのまんまの人だと思った。必死に近付こうって馬鹿みたいに頑張ったんだけど…そのうち結婚して産休に入って…会えなくなって。もちろん告白なんて出来なかった。其の後で子供を産んだ先生と二人で会ってゆっくり話して、それはそれで折り合いが付けられた…と、思ってるんだけど。(其処で一度ふうっと深く息を吐き、大きく深呼吸。こんなに自分の事を語るなんて初めての事で恥ずかしくもあるが、いざ話し出したら其の後の言葉も次々と溢れ出して止まらなかった。)……それでも、今も私が惹かれるのは女の人ばかりで。皆の言うイケメンっていうのが…昔から、よく分からないんだよね。性格ならともかく…男の人のどんな顔を基準に格好良いっていうのか、全然…未だに分からなくて。女の人なら、外見だけでも可愛いとか美人とか思う人はいくらでもいるのに、男の人には其れが感じられなかった。男友達とかは居るのに…恋愛感情が向くのは、いつも女性ばかりで…。此処に来てからも、其れは変わらなかったよ。このまま結婚もしないで、子供も産まないで、叶わない恋ばかりして一人で生きていくんだろうなって思ったら…もう死んでもいいかなって思えちゃって。(其れまで頑なに隠してきた悩みをこんなに冷静に話せている事実に我ながら驚いた。しかも自身も女性としての生を楽しみながら、一人の女として女性を愛したいと思っているのだから自分で厄介だと思う。一通り話し終えて、彼女の顔は直視出来なかった。大丈夫と思ったくせに軽蔑される事への恐怖も捨てきれない。)…ごめんね。流石に引くよね、こんな話。…もう、少しでも仲間に入りたいなんて…思えない、でしょ?(そうして彼女の目を見ないように無理に引き攣った笑顔を作る自分がとても滑稽に思えた。) | |||||
そう、ですよね。立場や見方が違うだけで物事って変わるから…難しい。 | |||||
…思えますよ(彼女が語る話の最中閉じ続けた口を開いて最初に伝えるのは、彼女の最後の言葉に対しての否定。最初の一言から視線は彼女から逸らす事はせず、身体の向きも彼女に向き直っては、黙して耳を傾けた話。過去の秘めた想いも今懐く感情も未来に対する不安も語ってくれたそれは、異性愛が常識として成立している頭には驚きを生む要素に至れど――"引く"などという単語も感情も彼女から紡がれるまでは浮かびもしなかった。否定の後に改めて緩く首を左右に振れば、彼女の傍へと歩を寄せて。)…死んでもいいかな、にはいつでも邪魔者になります。でも、仲間に入りたいは……今も、変わりません(下がり眉は変わらず、けれど、微笑を象る唇が発する声に揺らぎは孕んでいないだろう。彼女の今の表情が此の頭には毒と知っていても、視線が重なることがなくとも、彼女の瞳を見据えたまま、言葉を重ねよう。彼女と繋がらなかった"彼女"が口にした異常が何と繋がるかも理解した。そうすれば途端にこうして彼女に掛ける言葉も仲間も全てが歪んだ意味を持つようで、語る声に躊躇が少しの間を生むけれど、)私は……恋も、恋愛もしたことがないし…よく、わかりません。だから…先輩と同じ気持ちや不安が理解出来るわけじゃ、ない。でも…それでも。聞けて、…うれしいんです。話してくれて…ありがとうございます(上手く言葉に出来ない感情を言葉に乗せた其れとて真。彼女の話が聞けて、彼女の事が知れて、嬉しいに籠った親愛も真のひとつであるのだから、それを確かに声に乗せて伝えよう。彼女に何ら己の事情を晒さぬ事に軋む罪悪に知らぬ振りをしては、彼女と未だ其処に居るならば背後を振り返り"彼女"を順に瞳に映そう。無責任であり根拠の無い言葉が現実であることに緩めた目許と唇で同じ言葉を口にしよう)ね、…大丈夫ですよ先輩(相も変わらず漠然とした物言いなれど、彼女にも自分にも不安を懐くようなことは今のところ何も起こっていないのだからと、ゆっくりと声に乗せて―) | |||||
自分だけじゃ気付けない事もあったし、人の言葉を聞くのも大事だね。 | |||||
(挿まれた彼女の言葉に信じられないと言いたげな表情を向けて、でも嘘の欠片もない瞳に其れ以上の反論は憚られた。そして全てを語り終えた時こそ本当に拒絶か無理をされるとばかり思っていたから、彼女の其の後の言動は予想のまるで通じないものだった。)……っ!…本気で…?…でも、……っ、う、(其の後の言葉は続かず、顔を覆ってわんわんと号泣するしか出来なかった。心の底から安堵し、嬉しかった。真っ直ぐな言葉でそう伝えてくれた事が。拒絶されて当然の感情だと思っていた。だって彼女は普通なのだから。でも、現実は予想通りにならなかった。入るような価値のある仲間ではないとまだ食い下がろうとしたが、其れも音にならず情けない嗚咽に消えて行く。傍に寄り添ってくれる彼女の存在が何より頼もしかった。)……藤澤さ、…ありがとう。拒まないでくれて、仲間に入ろうとしてくれて…そう思ってくれた事が…本当に、嬉しかった。一人じゃないって、思った。(其の時には影のうすら笑いも消え、随分と落ち着いた表情を見せている筈。彼女が繰り返した「大丈夫」は、今度こそ素直に受け止められる気がした。初めて誰かに打ち明けたけれど、悩み自体は何も解決していない。これからも自分にとって“普通”の恋愛対象が変わるなんて考えられないし、世の中は彼女のように心優しい人ばかりではない。差別と偏見に溢れている。問題はまだ山積みだ。そんな自分を完全に好きになる事もまだ出来ていない――でも。此処に自分の事を肯定してくれた、温かい言葉で包み込んでくれた彼女が居る。何の根拠もないのに大丈夫になるかもしれないと思えてしまった。だから、自分の嫌いな部分も含めて自分なのだと、共に付き合っていくべき存在なのだと―好きにはなれなくとも認められる気がした。失敗するかもしれないけれど、逃げたい自分と付き合う努力から始めてみよう。そう思えたら、少しだけ前を向けた。そうして一頻り泣いた真壁が顔を上げた時には彼女の向こうに見えた影の自分の姿は跡形もなく消え、己の中に戻っているのだろう。)…あれ?居なくなった…?……そっか。私が原因だったんだね…。……藤澤さん。“私たち”を助けてくれて、本当にありがとう。(今更と思われても仕方がないけれど、まだ少し涙の痕の残る笑みで二度目の感謝を伝えよう。彼女がこうして粘り強く向き合い続けてくれなければ、己はまだ心の影から逃げる方法ばかり探していたろうから。) | |||||
私も、そう思います。一緒にその人の考え方も…知ることができますし。 | |||||
(幼子のように堰を切ったような泣き声が鼓膜に触れるだけで、綺麗な涙が白い掌で覆われている事に安堵する心が半分と残り半分の感情は潰えるように奥へと押し込め、代わりに無機質で硬い感触を強く握り締める。緩めて感情を気持ちを晒してくれたことにあたたかな喜びを感じながら、仄暗さが息苦しさとして喉元に付き纏うから、彼女が見ていぬことを理解した上で下唇を噛めば、微笑は歪んだ。綺麗な五文字が聞こえる頃には元の顔なれど、その言葉の受け取り手には相応しくは無いから緩く首を振り、否定の言葉は紡がぬままに微かに目を細めよう)私で良ければ、いつだって。先輩のところに行って、先輩の話、聞きますから。――だ、から、…せんぱい。周りが何て言おうと、先輩だけは……自分のことを異常なんて、いわないで(自分に出来る事を伝える意図に建前などありはせず、彼女が望んでくれるのならばそうしたいと思う心の儘に告げた言葉。そのままそこで区切る筈の唇が微笑の代わりに躊躇いが現れれば、頭の隅に居座り続けるそれが口を衝くように小さく飛び出して。小さな声に乗せた身勝手なお願いはそうと自覚があればこそ、一呼吸で情けなく歪んだ顔に微苦笑を戻すと「な、んて…何でも、ないです」と狡い否定を付け加えた。――気付けば現れた時のように、彼女の元へと消えて行った"彼女"。必要が無くなった得物の刃は完全に下方を向いて、彼女を傷付けぬよう切っ先を後方に向けたまま、透明な涙の跡が煌く笑みに眉を下げてはまた同じ言葉に緩く首を振って、冗談めかすような言葉と一緒に笑みを浮かべようか)私は…邪魔をしただけですよ。……うん、でも、…先輩が笑ってくれてよかったです(涙に濡れた顔は恐れを懐いた顔よりも、目前の笑みの方が彼女には似合うから。安堵を滲ませ細めた目許に無理は無く、ぽつりと零れた言葉自体も意識的に紡いだものではなくて。緩んだ気が再び空腹感を呼び寄せ始めては、彼女の状態を窺うように見詰めてから、)……そろそろ、戻りましょうか(他の面子も気に掛かれど、もう少し時が必要そうならば留めた足は決して動かぬし、同意を示してくれたとて彼女より先を歩く事はないだろう。満ちた月の下で、寮へと戻る最中の空気は此処に来る時とはきっと違って穏やかなものとなればいい――"自分"を拒まず受け入れた彼女の隣で、飢えを抱えた腹部をそっと摩りながら、「お腹空きませんか?」なんて他愛無い話題として紡いだりして、ゆっくりと。穏かな中で穏やかなものを擁いて、いたい。) | |||||
うん!自分と全然違う考え方も話し合えば参考になったりするし。 | |||||
(悩みを打ち明けた反動で手一杯で狭い視野は彼女の微妙な違和に気付く気配もなく―其の時の彼女がどんな表情をしていたのか、真壁は知らない。そして顔を上げた時には何時もの優しい彼女の顔があったから、何ら疑う事もせず其の事実を受け入れた。彼女に本来ならば知らなくても良かった事を伝えてしまった事は心苦しいが、其の協力によって真壁の心が救われたのも事実だった。だから首を振った時にも控えめな彼女らしい謙遜から来るものだと解釈して。)駄目だよー、そんな優しいこと言われたら私すぐ甘えたくなっちゃうから。……へ?……うん、…分かった。(最初はあれだけ突っ撥ねた自分に対しては優し過ぎる言葉だったが、口ではどんなに遠慮しても甘えてしまう姿が目に浮かぶ。これからも悩みは悩みで有り続けるだろうし、重さを増すかもしれない。でも、如何しても耐えられなくなった時には全てを話せて頼れる人が居てくれる。其れまでと違う、其の事実だけでもどれだけ大きな心の支えになっているか。――だが、其の後に続けられた小さな言葉には目を見開き、首を傾げて。すぐに否定の言葉が追加されたならもっと不思議そうに「……そう?」と返して、其れ以上は何も言わずに。結局、頷きはしたが彼女の真意には気付けず終いだ。――さっきまでの嵐のような遣り取りが嘘のように静かに戻っていった自分の影。ペルソナが召喚出来なかった理由も今なら何となく分かる気がした。)…藤澤さんが邪魔してくれなかったら、私はきっと今頃もっと酷い事になってたよ。(どれだけ言っても彼女の方が己を諦めずにぶつかってきてくれたから、小さな一歩を踏み出す勇気が持てた。未来を諦める事も考え直そうと思えた。此処に逃げてきた直後は、こうしてまた笑えるなんて―想像もしなかった。)……そうだね、もう遅いし。――…あっ、たしかにお腹が…!鳴りそう…。私も何かしっかりしたもの食べたいなー、今日ぐらいは良いよね。(彼女の提案に笑って賛同し、其の場から歩き出すのだろう。夢中で走った為に疲労は溜まっていたが、前に出す足は心なしか軽く感じる。彼女が投げかけてくれる日常の何て事ない話題にとても心が安らいだ。そして真壁も自覚した空腹を満たそうと、月明かりの照らす穏やかな夜の道をゆっくり、ゆっくりと二人で辿ってゆこう。きっと今日は良い夢が見られるから。) |
9月5日 満月の夜 | |||||
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(ある少年が非現実的な日常を送るようになってから、幾度目かの満月。時計の針が0時を示しても何の気配も現れない今宵は、警戒の意味もなく単純に過ぎていくのだと少年は思った。然し、一歩。また一歩。黒々とした足跡を残して近付いて来た闇は、もう少年の首許に冷たい指先を掛けていた。「ホント、ちっぽけだね」 鳴りを潜めていた影が囁く。静かに、冷たく。少年の全身を嫌な感覚が駆け巡り、背筋が凍って、身体は強張る。隙間のないように強く耳を塞いだとしても、鈍く響く声は少年の心臓を貫くように襲い来るだろう。少年は、現れた黒い影に目を遣る。見開かれた濃紺は影を捉えた。影は、少年の姿をしていた。まるで鏡だ。少年の闇を映し出す鏡。三日月のように弧を描いた口許は、不気味に笑っていた。)そろそろ楽になりたいんじゃない?疲れただろ。偽り続けるのも、逃げ続けるのも。……ねえ、(───“これ”、何の意味があるの? くすくす、と小さく笑い乍ら、影は自らのスカートを摘む。少年の顔が歪む。苦しそうに唇を噛んで、拳を握り締め、そして何かに急き立てられたように走った。少年は、逃げた。宛もなく、只々衝動に駆られる侭に足を動かした。人気のない路地裏に辿り着いて、其の壁に寄り掛かり乱れた息を吐き出す。でも影は、何処までも少年を追い詰めた。)……どうして、逃げるの?どれだけ僕から逃げたって、……影からは逃げられない。だって、……僕は、“僕”なんだから。(影は笑う。只、笑う。影は少年にゆっくりと近付く。少年は震える手で米神に銃を宛てるけれど、狼は現れない。少年に成す術はない。「ねえ、……楽になれるよ」 影はそうして、少年の首に両手の指先を伸ばした。) | |||||
………ホント、最悪。 | |||||
(「───“これ”、何の意味があるの?」───其れは最悪な問い掛けだった。隠し続けた傷口を鋭利な刃物で容赦なく抉られる感覚だった。本当に、最悪だ。何も言えずに噛み締めた唇は、僅かに血の味がした。掌には爪が食い込んで傷を付けた。そして、玖珂は駆けた。何処へ?そんなの、分からない。只、思うが侭に走り続けた。兎に角、逃げ出したかった。奥底に追い遣っていた筈の其れを言い当てられた恐怖に冷や汗が伝って、心臓が激しく脈打つ。“怖い”なんて、言えなかった。走って、走って、辿り着いたのは人気のない路地裏。勢いよく駆け抜けた反動で、酷く息苦しい。壁に寄り掛かって息を吸って、吐いて、───でも、休めない。影は何処までも、玖珂を追い詰める。視線を遣った先、三日月のような弧を描いた口許で笑う影がいた。)何なんだよ、………あんた、誰なんだよ……っ!(苦し気に吐き出した問いの答えには、何となく気付いていた。でも素直に認めることなんて出来る筈もなく、ホルダーの召還器に手を伸ばした。震える手で其れを握り締め、米神に宛てた。そして、引き金を引く。そうすれば、いつもなら狼が現れる筈なのに───何故か、出来ない。何で、と小さな呟きが溢れる。影は笑う。「楽になれるよ」 と。息を飲む。“楽になりたい”と思った一瞬の考えが、玖珂の動きを止めた。召還器が音を立てて地面に落ちる。首許に伸びてくる両手に、何故か身体は動かなかった。) | |||||
逆にどういうのが最高なのか気になる。 | |||||
(満月の日が訪れた所で、心持ちはそう簡単に変わらなかった。狙い通りシャドウが出現するならそれを倒しに行くまで。仮にその姿が見られなければ、平和な現実を甘受して眠りに就けば終いだと。眠気を湛えた瞳と、時折漏れる欠伸からは退屈の色がありありと見て取れただろう。けれども。そんな楽観的な思考がぼろぼろと剥がれ落ちたのは、まるで現実とは思えぬ光景を目の前で捉えたが為だった。)……なんだ、あれ……。(――仲間と同じ姿を模したシャドウ。傷を負わせるでもなく、ゆるやかにもう一人の自分を追い詰めるその姿に覚えた感情は恐怖心だろうか。逃げるように去ってゆく幾つかの背中をぼんやりと眺める事しか出来なかったのは、突然の出来事に停止した思考と、棒のように固まった足の所為でもあった。桐条の言葉を切欠に足枷は取り除かれ、弾けるように駈け出したけれど――誰の行き先も分からぬまま、でたらめにその姿を探すしかなく。既に辿って来た道など覚えておらず、ひたすら人の影のみを探し進み続けて。ようやく見付けたそれは、シャドウに捕らわれる直前にも見える彼だった。滑り落ちた召喚器は絶望の証か、将又無抵抗の印か。――背筋がすっと凍るのを感じた。)ペルソナ、――オーディンッ!(引き金を引く手に迷いは無い。軽く仕掛けただけの攻撃は精々シャドウの意識を逸らす程度のもので威力は望めぬものの、彼との距離を強引にこじ開けその間へと滑り込んだ。彼と瓜二つな影を間近で捉え、その異様な空気に呑まれそうにもなるけれど。)クガメグム。……ちゃんと、生きてる?(荒い息と共に肩を上下させ、顔だけで振り向きその安否を問う。地に落ちた銃を、視線で拾えと目配せしつつ。) | |||||
この世界からシャドウが消えたら、最高なんじゃないの。 | |||||
(目の前で笑う“自分”に、濃紺は揺らぐ。絶望に似た冷え切った救済を携えて首許に伸びる指先を拒むことは出来なくて、只、其れを求めた。此の指先を受け入れちゃいけない。そう思うのに、落ちた召還器を拾うことも、影を自らの鉤爪で引き裂くことだって、出来なかった。現実から逃避するように猫目を伏せた、其の瞬間のこと。───声がした。もう随分と聞き慣れた声だ。鼓膜を揺らした衝撃に、閉じていた双眸をゆっくりと開く。狭い視界いっぱいに広がるのは玖珂にとっては随分と大きな背中だっただろう。)………こ、だま……───…(掠れた声が喉から溢れて、大きく目を見開いた。僅かに見上げた先に捉えた姿に覚えたのは安堵か、“影”を見られた恐怖か。半ば呆然としたように其の顔を見詰めていたけれど、自らに掛けられた声は確りと耳に届いた。噛んだ所為で血の味がする唇を舌で舐め乍ら、其れは薄く開かれる。)………残念ながら、生きてるよ。(返答としては不適切な言葉を一つ。彼の視線が向く先に落ちた召還器を見遣るけれど、しゃがんで伸ばそうとした指先は拾うのに躊躇いを見せて、ほんの一瞬だけ拳を握る。然し其れも僅かな時間。拳を解くと召還器を拾い上げ、右手で握る其れを左手で撫ぜた。いつもより重たい。ずっとずっと、重たい。)君が来なければ、あのまま死ねると思った。楽になれると思った。………助けてもらったのに、そんなことばっか考えてる。……最低だね、僕。(暗く淀んだ路地裏で彼の背に隠れたのは、自嘲の滲んだ小さな笑い。此の手にある重たい証に実弾が籠められていれば何れだけ良かったことかと思う。頭を上げることは出来ぬ侭で、深海のような濃紺は地面だけを映すだろう。───影は、そんな玖珂を見て、矢張り不気味に笑っていた。) | |||||
それって、シャドウを知らなかった時とどう違うのかな。 | |||||
(この影の正体が何なのかは分からないけれど、同じ風采をした“彼”のみを狙う異様さは過去に討伐したどのシャドウよりも際立っていて、気味が悪いとすら感じた。影を生み出したのは何も彼だけでは無い、他に生み出されていた影と同じように自身もいずれはと予感するのは至極当然の事だろう。残念ながら、と含みのある返答によりその安否が確認出来れば一先ず安堵が落ちる。銃を拾い上げるその仕草の内に、躊躇いが窺えたのは単なる思い違いだろうか。けれども召喚器を手にした時点で先程の無抵抗に近い状況から脱する事は出来たのだ、仮に戦力は変わらずとも多少は安心してシャドウに立ち向かう事が出来る。改めて召喚器を握り締めては、次なる攻撃を仕掛けるべく意識を集中させるけれど――背後から響くその声は、しっかりと鼓膜を揺らしていた。)……べつに、最低でもないだろ。勝手に割り込んだのはおれだし。――でも、(自嘲気味に告げられたそれは、何に対する言葉だろう。強引に助けた児玉に悪いと思っているのか、それとも言葉通り邪魔の入った現状を厭っているのか。楽になりたい。そう願った彼が背負う重みなんて、欠片たりとも知りはしないけれど。彼と同じ姿をした影を見据えながら、呟きは落ちる。)おまえが死んで楽になったら、おれが苦しんでた。……残念ながら、生きてほしいんだ。だからさ、“邪魔するな”って怒鳴るのならいーよ。そっちのが、クガメグムらしい。(つまりこれは自己満足。怒られる分には仕方がなくても、自身を貶めるような言葉を聞く筋合いは無いのだと。彼のことなんてほとんど知りもしないのに、彼らしいと告げた声に迷いはなかった。共に迷宮を彷徨ったあの日に見た姿こそが、一番に“らしい”彼だと思えるものだったから。――向かい合った影はいつ動き出すか分からない。その動向を探るように、じっと見詰めた。)……これ、どうしよっか。 | |||||
………それじゃあ君にとっての最高は、どんなものなの。 | |||||
(世に様々な思想があったとしても、異性装に対する印象は良いものじゃない。特に此の日本じゃ殊更だ。仮令外見が違和感なく女子であったとして、其々に理由があったとしても、“男が女の格好をする”事実だけ思えば『気持ち悪い』も『頭がおかしい』も当然の言葉だった。異性装を除けど玖珂の性格や対人態度は好感の持てるものじゃなく、敵を作ったって仕方のないものだった。───思えば、一番最初の会話から彼は見事に変わった人間だった。其の掴めない人間性に、予想を何度も覆す行動に、抱いていたのは確かな苦手意識だった。でも同時に、心が軽かったのも事実だった。今だってこうして彼の背の後ろで、彼の言葉に助けられている自分がいる。顔は上げられない侭だけれど、)………君、やっぱり変わってるよ。変人。(小さく呟いた言葉は地面に落ちるように、彼へ。召還器を握る右手は力なく下に流れ、左手はくしゃりと前髪を掴んだ。歪みに歪んだ心が少しだけ滑らかさを取り戻し、問いに答えようとした瞬間───影は、残酷に言葉を投げ掛ける。影は全てを見通している。まるで玖珂自身であるかのように、玖珂の内包した全てを抉る。痛い、痛い、痛くて堪らない。息が出来ない感覚にさえ陥る。「現実を見ろよ」 冷たく滲んだ声は、玖珂を追い詰めて行くには十分だ。)………言うな。もう、……聞きたくない!!(懇願するように声を荒げて、其の手を握り締める。幾ら求めたところで影が止めないのは分かっていた。影の言葉は何処までも玖珂を追い掛けて、何処までも玖珂を追い詰める。奈落の底へと追い遣るように、崖の淵まで。痛々しく唇を噛んで只々影の言葉に首を振る玖珂は、とても小さな子供だった。) | |||||
─── | |||||
───……あーあ、残念。これで、“僕”は楽になれると思ったのに。……余計なことするなよ。(二人の少年を見据え、黒く淀んだ空気を纏う影は笑う。悔し気に、でも楽し気に。小さな少年とよく似た風貌であるのに、其れは酷く不気味だろう。指先で作った銃を自らの米神に宛て乍ら、より一層三日月を際立たせた影は言う。)死ぬことも出来ない、戦うことも出来ない。……価値なんて一つもないね、“僕”は。(大きな背に隠れた少年は、影の立ち位置からは全体を捉えることを出来ない。然し、言葉に震えた肩と握り締めた拳だけは見えた。だから、笑う。追い詰められていく“僕”を見る影は、少年の闇を映し出していた。)何をしても勝てない。何をしても意味がない。全部分かりきったことなのに、どうして今更逃げるの?ねえ、……いい加減、現実を見ろよ。(途端に低くなった声は鈍色をして路地裏へと転がる。米神に宛てていた指を下ろし、其の指先は髪を気怠げに髪を掻き上げる。月のような金色の映る猫目は、薄暗い常闇に怪しく光を放つ。「………言うな。もう、……聞きたくない!!」 少年は声を荒げる。下を向いた侭、召還器を握った手を握り締めた。震える姿を目にした影は、少年を更に崖の淵へと追い遣る。)どうして?全部、本当のことだろ。どれだけ努力したって、“僕”は兄貴に勝てない。誰も、“僕”を見てくれない。………いつまでもくだらないアイデンティティに縋りついたままだなんて、惨めだね。どれもこれも結局は意味なんてない。だって、───……誰も、“玖珂愛”なんて見ちゃいないんだから。(じわり、じわり。少年の心臓に杭を打ち込むように、言葉を刺す。少年は背の後ろで、強く強く唇を噛む。まるで泣いてしまうのを堪えるように、母親に叱られた子供のように。)ホントに、“僕”はちっぽけな人間だね。……君もそう思うだろ?だからさ、もう楽にしてあげなよ。大丈夫、君は苦しまないよ。“僕”がいなくなったところで、………世界は何一つ、変わらないんだから。(彼と向き合う影は其の後ろに居る何よりも小さな存在を指差して、静かに笑った。) | |||||
あったかいお布団と、おいしいご飯があれば、かな。幸せでしょ? | |||||
(対峙する影を見詰めながら、背後に居る彼の言葉を受けるのは何だか可笑しな気持ちでもあったけれど。出会ったあの日以上に断言された“変人”との言葉には小さく破顔して、「そうでもないと思うけどな」とやんわり否定は添えておいた。怒鳴っても良いと口にはしたが結局児玉を拒絶する動向は見受けられず、ならば此処を離れる理由なんて一つも無かった。影の告げる言葉を自身も聞いて良いのか、その迷いは多少あったけれど――声を荒らげる彼に時折視線を移しながらも、その存在を守るように頑なにその場に留まった。)…………、(やがて影が紡いだ言葉は、彼の中に秘められていた過去だろうか。他人事だと安易に割り切ることが出来なかったのは、僅かに自身と通じるものがあったからだろうか。理由はどうであれ、喉の奥が痺れたように何も発する事が出来なかった。同じ姿をした彼にだけではなく、児玉に対しても、見透かすように、決め付けるようにと言葉を放つ影。それが指差すままにそっと振り向いた先、――彼が小さな子どものように首を振るその仕草は、ひどく痛々しかった。)……おれは、見てたつもりなんだけどな。――“クガメグム”のこと。(彼の頭に手のひらを乗せて、ぽんぽんと優しく叩いた。ここに来て初めて覚えた名前の相手を、他の存在より気に掛けてしまうのは当然の事で。それが彼に伝わっているかなど知らぬ事だけれど、影の言葉に頷く気など欠片も無かった。)クガメグムはさ、楽になりたいの?……おれとの約束、まだ半年以上残ってるのに。(彼から言葉を引き出すように、問い掛けた後に。最後に残した羅列には少しの寂しさが滲んでいた。――彼が楽になったとして、世界が何一つ変わらなくたって。約束を残された自身が苦しまないなんて、そんなものは酷く傲慢で、勝手な押し付けだ。) | |||||
………何それ。ホント、そういう気の抜けるような答え、……君らしい。 | |||||
(目を瞑り、耳を塞ぎ、膝を抱えて踞る。今までそうして逃げたい現実から逃げ続けたというのに、誰に知られることもなく隠し続けた小さな秘密は一つの影によって暴かれ、玖珂の心情を乱雑に掻き乱す。一つ、また一つと、影の言葉が玖珂の小さな身体を射抜いたけれど───頭上に落ちた掌の温かさに、地面だけを見る濃紺が薄らと滲む。其れは初めての温度だというのに何故か懐かしくも思えて、頭を持ち上げて彼を見上げた。彼の言葉は、“玖珂愛”を見て欲しいと望んだ玖珂が何より欲したものだろう。)………約束なんて、忘れてると思ってた。覚えてたの?(猫目を丸々とさせ、唇からは驚きが溢れる。初めて会った日の約束が、そして玖珂愛の名前が、彼の記憶に残存していること。此の状況だから口にはしないけれど何とも言えぬ嬉々たる感情は込み上げて、唇を噤んだ。 楽になりたい。其の気持ちに嘘はない。然し、影に身を委ねる以外に楽になる方法だってあるだろう。ほんの少し躊躇いがちに双眸を伏せて、もう一度ゆっくりと開く。視線は下に遣った侭、玖珂は言葉を紡ぎ始める。其れは、とてもちっぽけな独白。)……兄貴が、いるんだ。三つ上。顔は、よく似てるって言われる。……でもそれだけ。他は全然似てない。兄貴は、何でも出来た。勉強も、スポーツも、習い事も、何でも一番になった。子供のときだけじゃない。今だって変わらないよ。『十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人』……そんな言葉、兄貴には当て嵌まらなかった。誰よりも格好良くて、優しくて、……尊敬する人。(今まで口にしたことのなかった兄の存在を語る度、記憶を手繰る度、如何にも伸し掛かる重たさは拭えない。けれど、其れでも吸い込んだ空気を言葉に吐き出せるのは彼のお陰だろうか。溢れる言葉は、続く。)僕だって、出来ないわけじゃなかった。勉強だって、スポーツだって、習い事だって、人並み以上には出来た。……だけど、それじゃ両親は満足しなかった。兄貴と同じものを求めるんだ。僕も、頑張ったよ。兄貴みたいになりたくて、追いつきたくて必死になって、……そうしていると、そのうち気付くんだ。どんなに頑張っても僕は兄貴には勝てないんだ、ってね。でも、……それでも、両親は口を揃えて言ったよ。『どうしてチカみたいに出来ないんだ』って。……出来るわけないだろ。僕は、チカじゃない。チカにはなれない。───……チカに勝てなくたって良かったんだ。ずっと二番手でも良かった。……でもさ。僕を見て、僕の名前を呼んで欲しかった。(ぽつり。落ちたのは言葉か、雫か。路地裏に淡々と響く玖珂の語り口は重たく、掠れた声だった。最早癖と成り果てた前髪を掴む行為は些か自嘲に思えて其の唇を噛み締めたけれど、喉奥からゆっくりと吐き出される息には確かな自嘲を孕んでいたものだから、思わず笑ってしまう。髪を掴んだ指先は離されて下に落ち、そしてスカートを摘んだ。其れは、まるで先程の影が玖珂に見せつけた行為にも思えたけれど。)こんな格好をしてると、よく言われるよ。『頭がおかしい』とか、『気持ち悪い』とか。……でも、それで良かった。人と比較されたくなくて、人と違う格好をして、人と違うレッテルを貼られるようになって、……それが“玖珂愛”だっていう証明になるんだったら、それで良かったんだ。この格好をしていれば、“普通”じゃなくなる。これで誰とも比べられなくなるって思ったら、……今度は、脱ぐのが怖くなった。元に戻ったら、また比べられるようになるんじゃないかって、思った。(下を向いた侭だった顔を持ち上げたけれど、視線は外方を向いた侭で彼を見ることはない。───人と比較されることが何より嫌いだった。積み重なった感情が歪曲して表面化し、いつしか玖珂のアイデンティティとして築かれた。でも、結局意味なんてないんだ。ふ、と小さく溢れた笑いは誰に向けてのものだろう。“玖珂愛”を見て欲しいと望んだのは玖珂自身なのに、結局は玖珂自身が本来の“玖珂愛”を覆い隠してしまう始末。何て、馬鹿らしいんだろう。)……いつまでもくだらないアイデンティティに縋りついてる、ってさ。否定出来ないんだ、あいつの言ってること。………ホントに馬鹿だろ、僕。(彼も、影も、見ることは出来ない侭。誰に言われたわけでもなく、秘密を勝手に吐き出したのは自分だというのに、彼が何を思うかに恐れに似た感情を抱く。行き場のない感情は、きゅ、とスカートを握り締めた。) | |||||
うん。……そうやって肯定してくれるところ、結構すきだな。 | |||||
(――約束。随分と長い間交わしたことのなかったそれが彼の名と共に記憶に残っていた理由なんて、実に単純なものだ。“嬉しかったから”――本当にただ、それだけのこと。けれども瞳に映る彼の反応からして、自身がそれを覚えていたのは少なからず意外だったらしい。思わずくつりと笑みが込み上がり、素直過ぎる言葉に異議のひとつでも唱えたくなったけれど、彼の中にしっかりと約束の文字が残っている事に安堵しては反発的な言葉など紡げなくて。)覚えてるよ。ちゃんと。……そこまで薄情じゃないつもりなんだけどな。(とは言え普段の児玉の言動から“忘れてる”と思われるのは致し方無いだろう、人に歩み寄ることよりも自らの欲求を優先させる男であるとは十分に自覚しているのだから。ゆるく浮かべた苦い笑みは僅かに自嘲が含まれたけれど、それでも、覚えていたという事が伝わればそれで良かった。――静かに紡がれていく独白にそっと耳を寄せて、同時に自身も少しだけ、過去に思いを馳せた。誰よりも近い存在と比べられ、やがてその存在には勝てない事に気が付いた時、感じる絶望がどれ程のものかは分からない。優秀な兄と同じものを要求される苦しみも計り知れないけれど、“自分を見て欲しい”という思いには、息を吸うように簡単に同調が出来て。人と比べられるのを厭うように個性を身に付けた彼が今の姿だと言うのなら、児玉はその姿の彼しか知り得ない。だからこそその個性を脱いだ彼をどのように見れるかなんて、今はまだわからない。わからないけれど、――自分は、彼と比べる相手を知らないから。彼を“クガメグム”として見て、その名を呼ぶことは、ひどく容易いことだから。)アイデンティティに縋りつくのも、そう悪いことじゃないと思うんだけどな。――っていうのは、おれの甘えでもあるけど。……そういうのから抜け出してみたいならさ。一回全部捨てて、自分のしたい格好して、『これが玖珂愛だ』って、おれに言ってみせてよ。どんな姿をしてても、おれにとってクガメグムは“クガメグム”だから。それが今と変わらなくても、変わってても、誰もおまえと兄を比べたりなんてしない。……ちゃんと、おまえはおまえだよ。(どんな姿になっても、彼に対する認識は変わらない。そう言い切れる自信があるのは、彼の外見ではなく、その内面に好意を抱いているからこそ。見る目によっては異質とも言えようその姿は確かに個性の一つでもあるけれど、飾らない態度に思ったことをすぐ口にする素直さ、そしてどこか放っておけないその雰囲気に、優しい心を持っているのを知っているから。それがすべてではないにしろ、そういった要素がクガメグムだと思えるから――アイデンティティに縋らなくとも彼は彼なのだと、そう伝えたかったのだ。) | |||||
何だよ、……肯定してくれるのは、君も同じだろ。 | |||||
別に、薄情だなんて思ってない。ただ、……僕の言ったこと、覚えてたのに驚いた。それだけ。(何でもないような顔をして大した可愛げもなく呟くけれど、家鴨のように尖らせた唇には嬉しさと気恥ずかしさが滲むだろう。堪らず顔を逸らして、横目で彼を見遣る。暗闇に溶けそうな二つの濃紺は行き場を迷って揺らめき、結局顔と共に逸らした侭。誰かの記憶に、自分の言葉がある。名前がある。存在がある。何気ない日常の一つ。普通の人にとって当たり前の其れも、玖珂にとっては大きなこと。だからこそ嘗ての会話で何気なく交わされた一つの約束が、今日に至るまで彼の中で生き続けていたことを嬉しく思う。言葉にすることも、表情に出すことも、不器用の壁に阻まれて敵わないけれど。───玖珂の独白は、随分と長く続いた。小さな頃から今までを一つひとつ掬い上げてゆっくりと握り締める其の行為に、何れ程の勇気を必要としたかを知る者はいるだろうか。思いの外すんなりと言葉は落ちてくれたけれど、只、何より不安だった彼の反応。外方を向いた侭じゃ彼の様子を窺い知ることも出来なかったけれど、───灰に淀んだ雲間から、小さな太陽が差し込んだ気がした。)……君ってさ、ホントに変わってるよね。僕みたいのに、そんな優しい言葉かけてさ。何の得もないのに、……っ……───…(小さく溢れた嗚咽と共に、目許に浮かんだ粒は地面に落ちて跳ねた。ずっと、そうやって言ってくれる人を待っていた。誰かが、認めてくれるのを待っていた。“玖珂愛”という人間の存在を、“玖珂愛”は“玖珂愛”だと言ってくれる其の人の存在を。自らを縛り続ける重たい枷は未だ全て取り除かれたわけではないけれど、前よりもずっと、軽く思える。いつか狼のように其れを引き千切ることだって出来るだろう。手の甲で目許を勢いよく拭うと、其処は赤みを持つ。漸く顔を持ち上げ、凛々しく確りと前を向くと、影は笑った。其れは決して不気味な笑顔じゃなく、柔らかく。そうして、ゆっくりと消えて行った。あの影は玖珂自身だった。いつかは向き合わなくてはならなかった心に潜んだ闇。何の為に現れたかは知れぬけれど、でも、一歩踏み出す切欠を与えられた玖珂の表情は前よりも清々しくあっただろう。)心配かけて、ごめん。………帰ろっか、寮。(影が消えて、訪れたのは静かな夜。非現実に足を踏み込んでから夜は不気味に違いないけれど、其れでも、此の夜はとても静かだった。彼へと向けた笑顔は年相応の少年の姿を取り戻し、「先行くよ」と彼より一歩先に踏み出して、そして止まる。ほんの少しだけ彼の方を振り返ったけれど、視線は情けなく宙を泳いでいた。)あの、さ。…………ありがとう、(───秀斗。小さく呟いた、初めて呼ぶ彼の名前。彼の耳へと届いていたかは定かじゃないけれど、込み上げる照れ臭さを隠すように足早に歩き出す。“友達”と呼べる間柄かなんて分からない。然し彼の存在が、言葉が、玖珂を救ったことは事実である。彼の名前を呼ぶことで何となく感じるむず痒さも、一つの信頼の証に違いない。 着信履歴に積み重なった侭、一度もかけ直したことのなかった兄の電話。偶には出てみようか。初めて、そう思えた夜だった。) |
9月5日 満月の夜 | |||||
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…いい加減、善人ぶるのは止めたら?(薄らと上がった口角、巨大な月が放つ其れの如く底冷えした光称える双眸。常に貼り付けた仮面の下の、其の顔が虚空に浮き出て仮面を付けた侭の彼を謗る。世界の全てを見下すような声音は、頭に常に響く其れと同じ色をしていた。仮面の下の顔が緩慢な足取りで踏み出せば、剥がれ掛けの仮面に縋り付く男は後退る。否定され続けた本性は、逃げられる事に飽いていた。逃げられれば逃げられる程、其の足は速度を上げ、其の手に持つ熱量は増す。)今更逃げても変わらないって、一番分かってる癖に。…無駄な足掻きなんて非効率的で嫌いだろう?分かるよ、だって俺はお前だからさ。(だから、諦めろよ。―低い囁きと共に力任せに押し倒すのは、既に力を失った半身。元在った場から何程離れたか定かではないが、辺りに仲間らしい人間は見当たらず。馬乗りになって半身の首筋に手を掛ける。剥がれ落ちた仮面の下の素顔は苦しそうに吐息と抗議を共に漏らすも、気力が残っていないのか、動きとしての抵抗はなく―そっと、其の細い其れにぐっと力を込めた。) | |||||
こんなにも嫌な気持ちになるのは、久しぶりだな。 | |||||
(背筋を悪寒にも似た奇妙な感覚が駆けていった。其れは余りにも一瞬で、其の事自体を怪訝に思うより先に、目前に佇む存在に意識思考その他全てを奪われた。耳朶に響く音は、平素、自分自身が独りごちる際の其の音と全く同じだった。事態の理解を脳が拒み、本能的に足が後ろへ逸れる。其の足が早まるのも、また本能的な物で。―認めたくない、逃げたい。そんな気持ちから自然と動く足は、然し異様な程重かった。)善人ぶるのを、止めたら、俺は、(震える声は、体力の無さからか、それとも。「は…っ」吐息のように口端から漏れる自嘲の笑みは、自分自身の主張の正当性を、自身の言葉で今まさに否定してしまった現状を認識した為に他ならない。それでも袋小路に追い込まれれば、常のように召喚器の引き金を引いた。然れど無情にも何一つ変化は無く、逆に自身其の物のような其れとの距離が詰まるばかり。否定する事の出来ない言葉にまるで幼子のように小さく首を横に振りながら、然し手足は動くことなく。為されるがまま、男の背は地を打った。其の衝撃で召喚器は男の手を離れ、転がる。唇だけが何時までも異論を唱え、「ちがう」と小さく動いた。―気道が締められ息がし難い、コンクリートに打ち付けられた背中も痛い。嗚呼でも、一番痛いのは、たぶん、きっと、こころ、だった。初めて客観的に捉えた自身の姿は、こんなにも醜い。) | |||||
受け止められたらその次は気分が高揚しそうな事を考えましょ? | |||||
(大型シャドウの襲撃が途絶え迎えた三度目の満月の夜。導き出された仮説とは裏腹に恙無く過ぎる影時間に抱いた焦燥感へと蓋をして。平素は弧を描く唇から零れ落ちた深い溜息は然し、誰の目にも留まる事無く霧散した。一人、二人―穏やかに過ぎる筈の闇夜を裂いて姿を現す其の影は正に仲間達の生き移し。煌々として冷徹に輝く瞳で彼らを射ては狂気に歪む唇が綴る言葉は刃の如く。)…な、に。(異様な光景に微笑みは削ぎ落され、見開く眼が信じ難い現実を認識する。抱く疑問すら口には出来ず、茫然と立ち竦む此の身へ解放齎すは同じアルカナを宿す彼女の声で、――寮を飛び出し探し求める仲間の姿は何処か朧気に揺らいだ侭。然し、偶然か或いは満月の夜に乞われた”お願い”故か。理由は判然とせずとも気付けば心中へ明確に象られた彼を求める碧眼が其の情景を切り取った。零れる声は細く、人の命が刈り取られる様に鼓動が急いて思考は白く塗り潰される。然し、抱く思いに突き動かされ、転がり落ちて足先に触れた青年の召喚器を拾い上げた女は其の銃口をこめかみに添えた。引き金に籠める力は強く、強く。)レアー、…二人を引き離して!(切り札となる氷結魔法こそ合理的と理解せど、青年の鏡像の如き姿に決断は微かに揺らぐ。抱く思いを糧に仕向けた攻撃が少しでも届いたなら地表へ縫いつけられた青年の元へと駆け寄り、敵に背を向ける愚かさを知りて尚、其の相貌を覗き込んで。)かがみくん、…加賀美君っ、……怪我はない?(繰り返し名を紡ぐ声にも余裕は無く笑みさえ浮かべられぬ侭。其れでも、青年の生を確かめたなら踵返し立ち上がり、影の如き存在が抱く黄金の眼を見据え、)きみは一体、どうして…?(正体掴めぬ存在に困惑を吐露しながら、されど敵とは知れずとも級友に害為した存在との交戦を望む碧眼に微かな激情がちらついた。青年を庇護する、其の為に。) | |||||
徳永さんは、発想の転換が上手いですね。気分が高揚する事か…。 | |||||
(―解放された呼吸器は、唐突に入り込んで来た空気に戸惑い、直ぐに正常な機能を取り戻す事は出来なかった。小さく咳き込み、生理的な反応として僅かに視界も潤む。そうして捕捉した級友は、然し良く知る顔とは違っていた。痛み堪え、ぐっと右腕に力を入れて何とか起き上がりつつ、)…どうして、貴女が、そんな顔、しているんですか…。(息絶え絶えに吐き出すは、純然な疑問。二つの碧を確りと捉えながら、何処何処までも素直な言葉は実に不可思議な色調にて。)お陰様で無事です、…ありがとうございました。(そうして、やや遅れて問の答と謝辞を述べた。其の様は平素通りにも見えようが、未だ起き上がっているのは上半身のみ、乱れた着衣も直そうとせず、埃すら払う様子の無い事から、混乱が収まっていない事が伺えよう。―それもその筈、自身の半身は未だに此方を眺め、不快な笑みを浮かべている。座り込んだ侭、然し彼女の背を超え双眸が捉えるは半身。睨めつけた其れは彼女の言葉に反応するようにゆらり、身体を揺らしながら、一歩、二歩、と距離を詰め―) | |||||
――― | |||||
(細い首は今にも折れそうで、口唇に刻んだ歪な三日月を深く、深く。―然れどあと一歩の所で引き裂かれてしまった。口惜しそうな顔をしたのは一瞬。直ぐに口許に上る細い月。絶好の攻撃の好機を敢えて見送るは、さて、次の一言の為に他為らず。女性と彼自身の視線が此方へと向いたならば、一歩、二歩と距離を詰めながら)…どうして?さあ、どうしてかな。ああでも、攻撃は止めて下さいね、痛いですから。ねえ、徳永さん。(肩を竦めてすら見せる様は、其処で座り込む彼の写しのようだったろう。―彼女の存在だって、確かに知っている。加賀美誠のクラスメイト、特別課外活動部のメンバー。数ヶ月前、醜態を晒してしまった、相手。月光が如き眼光携えた侭、弧を描く口端は一層釣り上がって対象を本体へと戻す。)…こんなに一生懸命、お前の為に色々としてくれようって言うのに、お前はまるで動こうとしないね。分かるよ、お前は『使える人間が来た、助かった』と思っているんだろう?本当に血も涙も無い。ねえ、徳永さん、酷いでしょう?…最低なんですよ、加賀美誠は。(饒舌はそれこそ平生押し潰されている反動か。笑い声すら漏らしながら紡ぐ言葉は、然し淡々と事実を告げるが如く。「…ちがう」座り込んだ侭の本体が震えた口唇から吐き出した弱々しい否定は肯定も同然で、一層影は笑みを深めて更に一歩、2人との距離縮めた。そうして彼女に同意求めるように首を傾げ、くすりと笑う。今度は先程よりも大きく、然し弱々しさは変わらぬ侭、「ちがう、違う…」と繰り返して否定の声が場に落ちた。) | |||||
立ち止まった後は前に向かって進まないと、ね。…何か思いつく? | |||||
…君が悲しそうな顔をしていたから、…こう言う感情って、理屈じゃないのよ。(命の灯が消える恐怖と倒れ伏す彼に覚えた胸を刺す悲哀。入り混じる感情を表す言葉持たず、結果紡ぐ思いは直感成れどしっくりと心に落ち着いて。戦意こそ存在せず、半ば茫然としていようとも其の身体が如何にか起き上がる姿に確かな生を感じたなら細めた瞳へ安堵が満ちる。せめて彼だけでも、逃がさねば―然し、未だ身に迫る影の姿は煌々と照る巨大な月の光を受け尚、色濃く。交錯した瞳が刻む強大な畏怖はさて、身の内と外―何処から込み上げた感傷か。)加賀美…くん?(姿形、何気ない仕草、何処か利己的な其の言葉。見据えるほど女の日常に住まう青年と合致す姿に高まる既視感はやがてあの夜まで知らなかった彼の片鱗と重なって。先頃まで振り翳した戦意は其の声に、其の姿に、否応無く揺さぶられただ彼本人を背に庇うのみ。けれど、嘲笑めいて突き付けられた言葉と近付く影に惑いを抱けば「…そう、」と曖昧な囁きだけが零れ落ち、一拍の間。刹那、カツリ―常に携行す傘を手放せば硬質な音が静寂の帳を裂き、)…つまり、加賀美君は『私が来たから命の危険は無くなった』って安心してくれたんでしょう?だったら私は今、此の世で一番の幸せ者ね。…―なぁんて、この解釈も「ちがう」のかしら?(明朗な口振りと、はにかむ笑みには甘い色。空いた手で腰に吊るしたホルスターを召喚器ごと取り外せば重力に任せ地に落とす。踵を返し座り込む彼の目前に召喚器を置いて完全な武装解除を成したなら凪いだ碧の瞳で漆黒を覗いて、)君にとって、私が信用に足る人間でも、使える人間だとしてもどちらだって構わない。ただ、私は…―加賀美誠を、守りたい。君を守る、其の為に「ちがう」の先にある、君の傍らに寄り添いたい。…ねえ、加賀美君。だからお願い、君の心を…私に、おしえて。(曝け出した心中が伝わる確証等何処にも無いけれど。余す事無く胸中伝え、笑みを残せば女は再び立ち上がり。「…勿論、君もね」其の指先は、黄金の瞳伴うもう一人の彼へ伸ばされた。) | |||||
…残念ながら特には。例えば徳永さんだったらどうします? | |||||
…そうですか。(理屈じゃない。其の言葉を聞けば自然下がった瞼が顔に陰影落とすだろう。彼女の登場で俄かに落ち着いた精神状況は、然し矢張り仮初の物。一歩、半身が動けば削り取られる其の程度の微細な武装。そうして心の声が鼓膜を揺らす度に小刻みに震えながら何とか音発する口唇は、最早己の物とも思えず。然れど細く紡ぎ続ける音は認めてはならぬと云う一種の強迫観念のような物であったろう。壊れかけた仮面に何をそう縋るのか、自身でも分からぬ侭、只々頭が自然と下がって行くのを感じていた。止めてくれ、認めたくない、聞きたくない。頭の中に駆ける悲痛な叫びの終焉は、場に唐突に響いた金属音。―そうして、続いて耳朶に響くは、あまりに、優しく甘い、音。それと同時、召喚器が地を擦る音立てれば惑わずには居られず、反射的に上を向けば、捉えるは穏やかで深い、碧眼。)…どうして。(漏れ出た声は、矢張り情けなく震えていた。縫い止められたかのように動かぬ視線は影に向かう事はなく、只管に彼女を捕われて。然して、其れは影も同様だったろう。伸ばされた手を見据える影からは、嘲笑が消えて。暫し、沈黙が場を支配した。けれど。)アレが言っている事は正しい。…俺は間違いなく貴女を使える人間だと思った。俺は、利得でしか物事を測れない人間なんです。――何も違わない。アレは、俺だ。(静寂を切り裂く声は明瞭で、今度は真っ直ぐに影へと視線投げた。ふっと口唇から同時に漏れた吐息は笑い声にも似て。然れど、自暴自棄な風はなく、何処何処までも自然だった。)…それでも。安心したのも事実です。それを幸せと言ってくれるのなら、例えそれが嘘だったとしても、…嬉しいのだと思います。こんな俺を、…アレを含めて、知りたいと思ってくれるのなら、…それこそ、こんなに嬉しい事はない。…俺は人を理解したいと思っていたけれど、もしかしたらこんな自分を認めて欲しかったのかもしれないな。…情けない話だけれど。(自然と口を突いて出る言葉は感情の侭に紡がれ、珍しくも纏まりとは程遠かった。後半はそれこそ独り言ちるように、小さく、小さく。―さすれば、先程迄伸ばされていた手を凝視していた影も呼応するように笑み浮かべ、彼女の横を通り過ぎれば――、すっと男の中に消えた。背を駆けた感覚は、其れが姿を現した時とは随分と違っていた。)…聞いて、貰えますか?多分、余り短い話でも、気分の良い話でも無いですが。(腰は下ろした侭、ゆるりと首傾げ、彼女に投げる視線は穏やかで、) | |||||
美味しい物を食べて、誰かと話をして、…朝焼けを見に行くわ。 | |||||
(俯く姿に小さな背中、拒絶を示せど、否定に至らぬ震えた声。――焦燥感に駆られ寮を飛び出し現今まで高まり続けていた恐怖は其の身一つで彼を見据えた今、身体からは抜け落ちて。待ち望んだ黒曜との邂逅果たし再び四文字が耳朶打てば返す言葉こそ見つからずとも、平生纏う鎧とは異なる彼だけに捧ぐ色彩満ちた微笑みが気付かぬうちに浮かんでいた。彼を、守る――下した決意を叶える為、此の身に備えた力は一見心許なくとも、武器も戦意も必要とせぬ今の自分には飾らぬぐらいが丁度良い。ただ青年の全てを知り、ひととき受け止め包み込む。其れこそが、此の女が示せる最大限の守護の形。嘲りを手放せど膠着した侭流れる時に終わりを告げ、先頃まで忌避した影の言葉を全て肯定す其の声は自分の知らない、けれど紛れも無く望み願った彼の声。少しずつ繊細に、然し何処か強ささえ携えて明かされる彼の心は触れる程に凪いだ心へ柔らかな温もりを満たすと同時に漣立つ。然し、不意に乱され揺蕩う胸中は酷く心地良く其れは揺り籠にも似て、)嘘なんて吐かないわ。…私はね、加賀美君。他でも無い君の事だから、知りたいと思うのよ。……私の知らない君の事を少しずつで良いから、…ぜんぶぜんぶ、どんな君だってそれが加賀美君なら余すことなく受け止めたい。そう、願ってやまないの……だから、ありがとう加賀美君。君が喜んでくれて嬉しいわ。(すれ違いざま見つめた影の湛える表情に背後へ佇む青年の姿を予感して、微かに濡れた睫毛を震わし繰り返す瞬きは彼と重なる影の最後の姿を刻み込む。薄れ行く姿を追いかけた其の果てに佇む青年へ首を横に振り、吐露する胸中は躊躇いこそ抱けど最後には真っ直ぐに、)…情けなくなんてないわ。……自分をちゃんと受け止めて、思いをこうして教えてくれた。…其れ以上に難しい事ってきっとない。君はとっても、立派だわ。……情けない加賀美君の姿も少し、見てみたいけどね。(だって、きっと、自分は――。何時しか心に忍び寄り絡みついた影の欠片は確かに女の身体へ根付けども、彼の其の眼差しを前にすれば呆気無く深層へと消え失せて。それでも誤魔化しめいて悪戯な言葉を付け添えた。やがて足元へ転がる召喚器や傘にさえ目もくれず、其の願いを叶えるべくゆっくりと返す首肯には自ずと喜び滲ませて。迷い無く膝を折ったなら視線の高さを合わせ、己が胸元へと片手を添えた。)時間が必要なら幾らでも捧げるわ、どんな話でも君が語るなら教えて欲しい。…私は、君の言葉が聞きたいから。 | |||||
欲求を満たす訳ですね。…ちなみに朝焼けなのは何故です? | |||||
(――自身でも不可思議な程、長閑な心地だった。過ぎ去った嵐は其の身に帰し、然れど不快な要素は一つもない。肯定的に、致し方ないのだと理解していた。受け入れた自身は確かに此処に在り、否定の仕様もないのだと。なればこそ自然と口唇に浮かぶ笑みは、憑物が落ちたように。)…………俺だから?どうして?クラスメイトだから?それとも特別課外活動部のメンバーだから、ですか?…ああ、聞いてばかりでいけないな。そういうのも”理屈じゃない”ですか?(つい反射的に重ねた「どうして」に僅かに苦笑見せるもそこに重い物はなく、首傾げ既に幾らか遠い記憶になった先の言葉を繰り返して、問う。)……でも、その言葉が嘘だったとしても、ああ、駄目だ。…俺は、言葉を偽りとして使う事に慣れすぎていて、だからこう、そう優し過ぎる言葉は中々、心の底から信じきれない部分が、あって…。…でも、嬉しいと思っていることは本当なんです。…信じて頂けます?(奇妙な程に饒舌、然れど余りに拙い其の言葉は平素の加賀美誠からは想像し難いだろう。やや不安は拭えぬまま投げる疑問符は、彼女の表情を伺いつつ。)……その前に随分情けない姿をお見せした気がするんですが、(と彼女の言葉に乗じて笑う。混乱していたとは云え、正直思い出せば嘆息せざるを得ない状態であった事は確かであった。――そうして、自身の願いに応じて、其の深海にも似た碧眼を目前に捉えたならば、)…本当に、不思議な人だな、徳永さんは。…俺も貴女だから、聞いて欲しいと思うんですよ。(其れは皮肉でも冗句でもなく。飾り気の無い素直な言葉として。)…そうだな。話すといっても、別に、何か劇的な出来事がある訳でもないんですが。……俺には、他人の想いが理解出来ない部分があって。…別段、誰が悪いとか、そういう事もなく。強いて言うのなら原因は世間なのかな。(言葉の選択にやや惑う様子は見受けられようが、基本的には淡々と、誰を責める風でもなく。)生きていく為に、必要不可欠なものってあるでしょう?…健康、お金、勉学。そこかしこから、それ等が必要だと教わって来たから。逆に、それ等以外の必要性が分からなくなって。感情なんかも、いらないんじゃないかって。…”情”が、一番合理性から離れるから。そう思って生活していたら、本当に理解が出来なくなってしまって。例えば誕生日プレゼントだとか、貰うでしょう?自分自身がどうあっても使わない物だったりもするじゃないですか。…そういうの、全く嬉しいと思えなくて。あとはー…そうだな、失敗したけれども頑張ったから満足、とか。結果が悪い状態で満足、という事が本当に理解出来なくて。…”ひどい”と言われることが余りにも多くて、これじゃあいけないと思い、色々な手伝いやらを率先して引き受けたりしていたんですけれども、矢張り理解出来ないままで。理解出来ないからこそ、どんどんと利己的になっていって、…隠す事ばかり、上手くなりました。(すっと、一度話を区切ると同時に大きく息を吸って、吐いた。して、)…、…軽蔑します? | |||||
半分だけ正解ね。…それは、…知りたいなら加賀美君も見に行く? | |||||
(流れる時すら緩慢な世界の中、狭い袋小路に宛がわれた僅かな空には平素と変わらず巨大な月が輝く侭。然し戦場として認識し此の身を置いていた筈の影時間が今宵ばかりは酷く穏やかで静謐だ。其の一端が初めて見る彼の笑みに在るとは火を見るよりも明らかで、自然緊張の糸は途絶え小さく安堵の吐息が零れ落ちた。故に、らしからず一挙に並び立てられた問い掛けへは虚をつかれたように瞬き一つ。自らの発言を律す彼には心和ませ笑み零すも、胸中を探り行き当たった答には僅か眉を下げて、)……加賀美君ってね、教室でも寮でもそれこそ自己紹介の時から私の中では非の打ち所の無い優等生だったの。でもね、前に……ホテルでシャドウから解放されたばかりの君は私が思っていた加賀美君とは違っていて、…少しね驚いてしまったの。私が君の事をこうだって決めつけていた癖に、想像と違うからって……身勝手で、ごめんなさい。…そうしたら……私、君の事なんにも知らないんだって痛感して……気付いた時には加賀美君の事、知りたくてたまらなくなってたわ。自分でも、それこそ驚くぐらいに。…理屈を付けるならこうだけれど難しいものね。……本当はただ君と仲良くなりたかっただけなのかもしれないって、そう思うから。(心中を探りながら語る“理屈”は嘘偽りなく、何処か懺悔にも似て。「結局は感情論ね。」と独り言ちては再び謝辞を付け添えた。)それが君の思いなんでしょう?…だったら疑う必要性なんて何処にも無いわ。……ねぇ加賀美君、信じきれなくたって良いの。代わりにね、…私は君に沢山の言葉を送り続けるわ。君に信じて貰うために、君の不安を…少しでも埋めるために。いつか、…加賀美君が私を信じきれるようになる、その日まで。(強い意志込め紡ぐ傍ら幾許かの躊躇いの後、其の身を支える彼の片手へと伸ばした指先で微かに触れて。了承を得るように仄かに傾げた首は続く言葉を受け今度は逆方向へと傾き、)……あのね、誰にも…いえ、君は言えないと思うんだけれど。…あの時、その…少し。ほんの少しよ?……、…どきっとしちゃったから、ノーカウントで。(思い返せば其れもまた謝罪すべき事案だったと、この機に乗じて早口に告げ唇に指を添える姿は以前見た彼の所作をなぞるように。――やがて、落ち着き取り戻した瞳を見据えながら耳朶擽る言の葉に耳を傾ければそっと瞳を細めた。)…それは私が聞きたい、と願ったから?(貴女だからと心中にて反芻し返す問は些か意地悪くとも、ただ純然たる青年への興味を秘めるからこそ。然して、望み叶い言葉を綴るただ事実を列挙すが如き声音には口を噤んだ侭。一言一句を噛み締め青年を見つめる表情には揺らぎ無く、訪れた幕間にそっと瞼を伏せれば胸裏へ満ちた思いと向き合った。肯定も否定も示さず齎す静寂は長く、瞬きの果てに答を手にした碧眼は澄んだ色を宿し、)……沢山悩んで、考えて…変わりたくて努力した…その時、結果は得られなかったのかもしれないわ。でもね、……君は私に心を開いてくれた人。私の心を幸福で満たしてくれた人。そんな人を軽蔑なんて、するはずないでしょう?…少なくとも、私の目の前にいる君の心には……確かな情が、芽吹いてるのに。(数多渦巻く感情の中から選び取った問いへの解を示す語気は強く、真摯な面持ちにてただ青年を見据えていた。) | |||||
…半分、ですか? ――…そうだな。迷惑でなければ、是非。 | |||||
…謝ることは何もありませんよ。正直、俺にとっては単に理由なく仲良くなりたいと言われるよりも、そちらの方が納得出来ます。……でも、違和感を感じたから引くのではなく、その逆だなんて、徳永さんは物好きですね。(純然と溢れた疑問に対しての返答を受ければ、瞬きを一つ。理屈でしか物を測れない此の男にとって、其れは寧ろすんなりと胸に落ちる。故に、彼女の心苦しそうな様子こそ理解し難く、思うが侭に言葉紡げば、小さく笑った。)……随分と根気のいる作業だと思いますが、それでも?……俺は何も返せないのに、どうしてそんなに、…。(余りに大きく包む彼女の言葉に戸惑いを隠し得ず、問う言葉は幾度目かの確認の意を込めて。―然れど、彼女の温度が地に着いた手を満たしたならば沈黙のまま瞼を下ろして、―…嗚呼、そうか、温もりって、こういう事か。)……そういうことに、しておきます。(ふっと漏れた笑みは、彼女の雰囲気が僅かに幼く見えた為。言葉としては信じているのかいないのか、何方にせよ互いに口外せぬ事だけは確かで。)勿論それも間違いなくそうなんですけれど、…、その言葉の前に、認めてくれたから、かな。…あんなに醜い俺も、認めてくれたから。少しでもその言葉を信じられたんだと思います。(――瞳閉じれば、鮮明に描く事が出来る、剥き出しの半身へと向けられた掌。自身でさえ否定した醜悪な其の心根を肯定も否定もする事なく、只々受容してくれたから。だから、完全ではなくとも、踏み出す事が出来たのだと、そう。―口を開けば自然と落ちる言葉達は、きっと長らく聞き手を探していた。理解したかった、されたかった。然れど、其の何方も不可能だった。なればこそ。一通り零し終えたならば投げた問は、漠然とした不安が形として現れた物だった。どうあっても、完全には信じきる事の出来ぬ、男の弱さだった。場に満ちる沈黙に、矢張りと云う単語が胸中に浮かび始めた頃、)……、敵わないな。(真っ直ぐ此方に向かう視線を捉えながら、小さく口内で呟く言葉はさて、彼女に形を持って届くかどうか。)…もっと、楽しいとか、嬉しいとか、色々なところで感じられるようになるのかな、って思えました、少しだけ。…貴女みたいに、とまではいかないだろうけれど。(弧を描く薄い口唇は、それこそ嬉々とした感情を表しているのではなかったか。「さて、と」と口にしながら漸く皺になった首元に手を掛けて、)…そろそろ、戻りますか。(身体中に付いた土埃払いながら立ち上がれば、提案一つ。自然と上に向った視線は巨大に煌く月を捉えて。良い思いのない満月も不思議と、忌々しいとは思わなかった。)来てくれたのが、徳永さんで良かった。…有難うございました。(そうして今度は確りと彼女へ視線を向け、そう紡ぐ。―そうして其の侭僅かに首を傾けて、ゆるり、先の彼女のように唇の前に人差し指を添えたならば、)…今日の事は徳永さんだけの秘密にして貰えますか。(其れは、何時かの満月の夜とは確かに異なる柔さ孕む) | |||||
そう、半分。残りはまた……――朝焼けの時に、ね。 | |||||
そう、…じゃあいつかこの気持ちにも納得して貰えるように、頑張らないとね。……わからないまま投げ出してその先にある何かを見落とすより、例え傷付いても少しで良いから理解したいと思うから。形の見えない物へ手を伸ばすってとても怖いけれど、一歩踏み出せば大切な何かを知れる時だってあるんだもの、……ほら、今回みたいにね。(細めた瞳へ滲んだ寂寥の色は刹那のうちに掻き消えた。理論立て思いを伝える難しさを感じながら評価の弁に返す言葉は今度は結果論に程近く、如何にも上手く行かぬと肩を竦めるも見つめた彼に釣られた口許はそっと弧を描く。)あら、こう見えて私ってしぶといのよ。…この先、それだけ沢山の言葉を君に送れるなんて今から楽しみに思ってしまうぐらいに。(感情では足らぬと知りて尚、語る言葉は穏やかな笑みと共に。繰り返される解無き問が途切れたなら、己より大きく何処か繊細な青年の手を握るよう、重ねた指先へ力を込めた。――同時に、彼へ抱いた共感を奥深くへ埋める為に。)わ、かれば宜しい。(横目に窺う其の姿と改めて噛み締める物言いが腑に落ちず尖らす唇は幼げで。はたとそんな己が様相に気付き無理に取り繕った結果、慣れぬ居丈高な調子と共に咳払いを落とそうか。)…特別な事なんて何もしてないのよ、……加賀美君は加賀美君だから、私は手を伸ばしただけ。(不思議と恐怖の無かったあの瞬間、戦うべきは己では無いと導いた結論は正しかったのだろう。僅かでも示された信頼と前を向く彼の姿が嬉しくて、小さな首肯と謝辞を紡いだ。―自分とはまるで異なる価値観、生まれ育った環境。現在の彼を作り上げた欠片に触れ青年の姿を知った今も、嫌悪感は浮かばない。ただ彼を受け止め過去も現在もそして未来さえ知りたいと願う女は真の思慕を語り静かな笑みを浮かべる。自分の心が少しでも伝わる事を願って。)大丈夫、…だって今の加賀美君、とっても嬉しそうだから。……羨ましいわ、君はこれから生きて行く中で沢山の新しい嬉しいや楽しいを見つける事が出来るのね。(確かな感情を宿した笑みに抱く喜びと温もりが胸一杯に広がり、揺らぐ水面は耐え切れず碧眼へ満ちた雫が一筋頬を伝って落ちた。個性的な寮生や級友達と過ごす日常の中、少しでも彼の琴線に触れる物が在れば良い―そんな願いを抱き、緩む頬を押え切れず破顔した暁には一つ言葉を付け添えよう。「君のとっておきが見つかったらその時は必ず知らせて。」と。)そうね、余り遅いとみんなが心配するわ。(肯定を示し、拾い上げた武器は然し至極重い。影の消えた今も突き刺さった恐怖の棘は抜ける事無くその存在を強調す。決意を固めた自分には、関係の無い事と断じれど、響く警鐘にいつか襲い来る其の日が浮かび上がれば武器持つ手は微かに震え、双眸は俄かに揺れる。ただ心中に宿る、不安。行き場の無い感情を飲み干し彼の声に顔を上げた刹那、)……加賀美君、(嗚呼、其の姿は忘れた筈の心の一部を何故これ程掻き乱すのか。満月を背負う彼の仕草は見覚えこそあれど今宵は影時間なんて忘れさせる程にとても、とても――)……やだわ、私、加賀美君からのお願いにすっかり弱くなったみたい。(困った様に眉を下げ浮かべる笑みは控えめに。四方や覚えているとは夢にも思わず、来した動揺を隠すべく漸く立ち上がりスカートの埃を払ったなら、帰るべき寮を目指し袋小路を後にしよう。妙に煩い鼓動も気のせいと言い聞かせ、歩む足取りは今日もまた青年より僅か前を行く。――其の姿を嘲笑う影の存在から、未だ目を逸らした侭。) |
9月5日 満月の夜 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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今晩は、マサヒトくん。今日は満月。綺麗な金色だ。うん。本当にきれい。…なあ?あれを見て、あんた、どう思う?……そんなにバカみたいに驚いてないでさ。……うーん。オーケイ。状況を整理する時間をあげようか。その聡明な頭で考えればいいんじゃあないか。今の状況を、正確に、……ほら。ね、「おれはやさしい」から…ちゃんと待っていてあげる。な?(あはは。はは。乾いた笑い声。青年はこの状況下でも尚、弧を貼り付けたままの唇を硬く閉ざして“青年”を見つめ続ける。汚れた緑は曇り、澱み、カレを見ているようで、決してその姿も微笑も、見ようとはしなかった。通り過ぎる視線は、この場にいる他者の存在をまるで冷静に視認していく。そんな自分を見つめるカレの双眸が笑う。瞳だけで語りかける。「あんたならもうわかってるだろう」――僕は、アンタだ――。バカみたいに緩い微笑。描かれた三日月に寄り添う、星のような黒子がその証拠。縦に間延びた身体が。細長い手足が。暗闇に浮き上がる青白い肌が、)「あァ本当に不健康。」…でしょ。わかってるよ。誰よりも、あんたが、わかってる。な?そうだよな?……あは。ばかだなぁ。ぜんぶ、分かってるくせに――、…あ、(「どこに行く気?」「マサヒトくんの居場所はお外にはないんだよ?」――飛び出した暗闇に笑み混じりの声が響く。目まぐるしく変わっていく風景。人工的な電灯の光。走って、走って、辿り着いた先は厳かな神社。隣接する公園にて止めた足を反転させる。石畳。小さな遊具。あそぶもの。あんなに外に出ていたのに楽しむ為にそれらをした記憶がなくて、青年は少しだけ笑う。丸きり同じ顔。相対する。歪んだ笑顔の二人が、)……。はは…。…腹が立つよ。僕も、笑ってるけど。ねえ。…面白くもないのにどうしてわらっているのか。なにも楽しいことなんてないでしょう。あんたが楽しいと思っていたことは、もう、出来ないことなんだ、……うん。そうだね。これも、あんたはわかってる。…ぜんぶ、分かってるなら言ってみろよ。教えてくれ。「ホンモノの馬鹿は誰なんだ?」(一歩。一歩と、迫り来る影。暗闇に響いた金属音に、カレは笑った。やっぱり投げやりだな。どうしようもないよ。アンタ。細い首に熱い吐息が触れる。骨のように細い指がそっと、柔肌に沿い、滑らかな頬を這って閉ざされた瞳に伸びる。指先が、曇った球体へ、ゆっくり、近付いていく。抉り出すように、)……最後に一つ、質問をしようか。考えることしか出来ない君に。……マサヒトくんはどうして、ぜんぶを諦めるの?
ほんと有り得ん…俺が二人とか……女の子が迷っちゃうわぁ…。
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(――それはまさしく影だった。淡い光で塗り固めた筈の双眸すら、仄暗く怪しくも、網膜に焼きつくような輝かしいナニカを孕んでいる。その瞳には見覚えがある。その気色の悪い薄ら笑いにも、嫌という程に見覚えがあった。――きもちがわるい。薄い唇が蠢いていた。褪せた桃色。思わず抑えた口許は、同時に驚愕で晒した咥内をも覆い隠す。歪んだ自分の顔に笑う青年は不可解な程に満足げだ。その笑顔の意味は?―一つ、疑問が増える。考えなければいけない疑問。カレの言う通り、聡明なアタマで考えなければいけないと思う程に空回っていく。けれど、考えなければ。答えを導かなければいけない。そうだ。――カレは、俺だ――。「今晩は。」)…最初の方の話、聞いてなかったんだ。ごめん。でもどうせどうでもいいコトだろ…うるせぇ君のことなら。…そう。居場所ね。そンなもん他の子達に聞かれないなら何処でもいい。…どうしてあんたが急に出てきたのかは知らねぇが…、(―――。嫌な場所にイヤな奴と来てしまった。息切れ一つも起こしていない背後の彼に向けて、嘲りを持って笑いかけた顔はあまりにも、平生の其れとは異なっている。大丈夫。自覚済みだ)あぁ。わかってるよ。わかってる…俺がわからないことなんてねぇよ。そンなもん、あっちゃいけないんだ。…俺は、ぜんぶに答えなくちゃいけねぇんだから、 そういうことだろう?…ちがうのか。…なに?…なんなんだよ、君は、(人よりも速い足が、彼以外を突き放すことに全力を尽くした。ああ忌まわしい。息を整えるまでの間、へらへらと笑う彼は言葉を紡ぎ続ける。喧しい。怒りに歪めた顔は、誰にも見せたくなかった。怒りで縁取られた微笑でぐちゃぐちゃに歪んだ顔なんて、誰にも、)ああ?求められるから笑ってンだろうが。そんなこと、君なら分かってる筈だ。…分かってないのは君なんじゃねぇのか。まさひと君。……君は俺に何を求めてるんだ?今更だろ。ぜんぶ、今更だ。遅いんだよ、……バカ。(引き金を引く気すら起きない自分を笑う彼の言葉に反論の余地もない。徐々に近付く穏やかな微笑は平生の自分の、仮面。張り付いた愚の骨頂。見ていられなくて閉じた瞳は、今度こそ本物の暗闇を作り出す。命を守る銀と共に、放り投げた人生。逞しさの欠片もない滑らかな腕が、指が肌を伝う)……諦め、か…。それこそ、君なら分かってるんじゃないのか。俺にはわからねぇが、…教えてくれなくていいよ(考えたくない。世界なんて。現実なんて、見たくもない。なら、もう見なくていいよと彼が笑った。 瞳に、爪が、)
| 安心していい。俺なら迷わず両方置いていってやる。
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(望まぬ望月が天を支配する夜は、今日で何度目だったか。月が満ちる度に訪れる大型のシャドウと己の闇、前者でなければ今宵は後者かと自問する間も与えず現れた第三の選択肢に声も出なかったのは過去の話。響く指令に解けた緊張、朧げながら現実を解し始めた脳は当真の足を走らせた。――走る、走る、走る。しかし、何故)……そんなの、(互いに迷惑をかけない。それさえ守っていれば、彼らは所詮他人。不干渉の対象。なのに彼らに危険が迫っている、その事実にこれほど危機感を募らせるのは何故)…決まってる、(当て所もなく暗闇の中を彷徨い駆け回るのは苦しい。自らの荒い呼吸音と徐々に勢いを失いゆく足音だけが響く無音の空間は果てなく、見慣れた街並みそのものが巨大な迷宮のように思えた。そうまでして何を見つけ出そうとしているのか、)……っ…!(不意に耳に溶けた弱々しい声。影時間に聞こえる声など――案の定、神社へと続く階段の先で視界に入れた二つの影が行うは)…上広ッ!!!(瞳を覆う闇を永久のものへと変える行為。反射的に投げたブーメランは結果影を掠めたに過ぎなかったが、幸いにも黄金の双眸宿す彼の指先が抉ったのは、宙。すぐさま回帰した武器を手に二人の間を割り込めば、瓜二つの顔と顔とを視線が往復したのち、)………比較的大丈夫じゃなさそうな方。……あんたを心配してる奴が居る。必要なら手を貸すけど、(見つけた“正解”の彼を背に庇うように足に軸を置き、他人事のように語る声は硬い。理由を付けるなら二つほど。一つを好意的に見て照れ隠しとするなら、もう一つは)……戦う気は、あるか。(彼の姿を模した溢れ出る害心への緊張。前方を注視する三白眼は鋭さを増すが、果たすべきは敵の撃破よりも彼の庇護。月光に照らされた彼の白く細い線、それが象る指先が戦意を握る未来はあるのか)
| えっ…俺は君にだったら片方といわず両方押し付けたいレベルよ?
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(閉じた瞳が作り上げた暗闇は光に満ちた世界よりもずっとやさしくて、穏やかで、このままこのセカイに身を沈めてしまえばいいと囁いたのは確かに自分自身だった。紛れもない自身の本音。ならば「もういいか」。愚直なまでに無抵抗に、尖った切っ先を受け入れようとした瞬間。耳を打った声音は、暗闇に射す眩い紫の光と化して瞼の裏でチカと光る。反射的に開いた双眸が認めた飛来する物体は同じく驚きを露にする青年の指を見事に弾き、そして、“ヒーローの如く”現れた少女の姿に見開いた双眸は計四つ。「どうして」口にしたのは自分だったのか。カレだったのか。唖然と見つめる彼女は相も変わらず気丈なことで、 ズキン。締め付けられる胸が、頭が、)…そう。それは君も込みなのか? いや。何でもいいな。どうして此処に……いや、これも違う?…必要じゃねぇつったら放って置いてくれるのかな。君の寝覚めは悪くなりそうだが(低い声音に散漫とした口調が異常な事態を、或いは青年自身の精神の乱れを際立たせる。未だ虚ろな淡緑が見据えた彼女の背に女性らしい滑らかさは感じられずとも、ソレは、彼女は充分にか細い“少女”なのに―――自分は。ドウシテ。痛んだ胸に小さな棘を刺す。彼女にそんな意思はなくとも、ズキン、ズキンと、胸が痛む。『当真…さん?マサヒト君に戦いを求めるのはダメだよ。だって、ねえ……上広優一は、敗者なんだよ』――静寂を守っていた影がまた、笑いながら吐き捨てた。痛烈な筈のその言葉に胸が痛まないのは、どうして?怒りは沸かない。曇った瞳に灯るものは、何も、ない)―――…そうだな。俺は、なにより自分が可愛いみたいだよ。 ごめん。玄ちゃん。…ごめんね。やっぱり、君の手は要らねぇわ。…君の、…女の子の手は男を守る為にあるンじゃないもの。…だから、いいよ。ごめんな(――本当にカレの言う通りだ。崩れるように解けた唇が象った微笑の弱弱しさ足るや。諦めの域にすら達している。『ほらね。流石だよ。随分もっともらしいことを言ってみせたね?』賛辞のような罵倒を吐き出す唇の三日月よりも更に歪んだ双眸が彼女を通り越して、輝く黄金と、燻る緑。交わした視線は奇妙な温度を孕んでいた。――きっと、カレが笑っているからだろう。浮かべられた満面の笑みに、心無き微笑は揺れる)
| 要らない。即日送り返してやるレベルだ。
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(在りし日の君はそんなにも小さかっただろうか。事態の異常性に不釣り合いな緩やかな言葉の運びは空虚に響き、彼を映した紫が嫉妬に翳った過去もあったというのに、今背に庇う青年の姿は弱々しく。当真が望んでも望んでも手に入らないモノを持つ彼は、いとも容易くその価値を捨てようとする。望んだ「助けて」の代わりに齎された「必要ない」それは拒絶。今度こそ彼を助ける理由を失う。自らの両手が守るべきはもう決まっていて、彼は其処には含まれない。三者の総意。恙無い進行に根付かせた足がぐらつく。影が嗤い、彼が笑う。途端、目の前から指針が消える。守るべきものに否定された今、彼の望みという建前は崩れ、追い打ちをかけるかの如く彼が紡ぐ“女の子”――それが、当真の正体。彼は“本物”、当真は“偽物”。だから他人は要らない。見たくもない現実を突きつけてくる。――それでも、確実に胸の中、柔い場所を突かれても尚彼を置き去る道を選べないなら、それはもう)……俺の、(意志だ。と、気づいてしまった。本物 “男の子”を守ることで偽物“女の子”のレッテルから逃れたいだけかもしれない。それも嘘じゃない。だけど、それ以上に、)……上広、(彼が消え行くのは、嫌だった。捨て置かれた銀色を視界の端に捉えてのち、ホルスターから引き抜き宙に放った当真の召喚器が後方に落ちる。それが彼の傍に落ちたのか、はたまた見当違いな場所に落ちたのか。どちらでもいい、彼が拾わなければ金属の塊と化すだけのこと)…じゃあ女の手は何の為にある?黙って涙でも拭いてりゃいいのか?………ふざけんな。何がごめんだ。浸ってんな。(無意識に彼が抉った傷を癒すように、涙の代わりに毒を吐いた。彼が当真を通してナニを見てるのか、理解など欠片も出来ないけれど、彼に戦えと、もう一度だけ気持ちを込めて。例え、伝わらなくとも、)俺一人でも戦う。……この手が何を守るためにあるのか、それを決めるのは俺だ。(対峙した影の嗤う三日月に萎縮した心を解すべく、言い聞かせるように呟いたのはこの場に居る三者に向けて。もし彼が一人静かに逝きたいと願うなら、当真の瞳に揺らめく闘志を絶つ他ない)
| お客様。残念ながら返品不可です。なぁんて。…俺拗ねちゃうよ?
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(突き刺さる強い瞳に耐えかねて彷徨った視線は遂に足元まで落ち込んだ。本当は誰にも見られたくなかったから、必死に走って追いつかれない場所まで来ようとしたんだ。周囲の状況を鑑みるに自分以外にも数名の“被害者”がいて、遠く離れた自分を見つける人間なんていないと思った。もし居たとしてもそれは相応の脚力を持つ男子であると想定していた。しかし、目の前には彼らの中の誰でもない少女が一人。それでは相対する自分を眺め乍らも働いた脳髄が選択を誤ったのか?――そうは思わない。若し仮に最悪の場合を想定し、女性が此処に来るとして。一番その可能性が高いのは彼女だと思っていた。根拠のない自信ではあったけれど、最悪の中の最善が今、目の前で繰り広げられている。喜ぶべきか嘆くべきか。痛む頭と胸と瞳とを抱え、いっそのこと本当に全てを投げ出してしまうのもいいかもしれないと思った矢先。ぽつりと彼女の声が響く。再び呼ばれた名前に、彼女の向こうで影が笑みを深めた。「名字で呼ばれるのは嫌いなんだよなぁマサヒトくん?」執拗な程に呼ばれる名前に否定の言葉なんて吐ける訳もない。うるせぇよ。苦し紛れの暴言にアハハと耳障りな笑い声が放たれて――その雑音を掻き消した硬質な音は先程自らが生み出した音によく似ていた。弾かれるように上げた頭。暗闇に瞬いた輝きが、地面に落ちる冷たい音を響かせる。僅かに石畳を滑った其れは、確かに手を伸ばせば届く距離に、あった)え……?なにして…――、(呆けた疑問の声音を漏らすよりも先に、鋭い言葉が宙を裂く。其れに込められたものは、怒りか、悲しみか。彼女の真意が読み取れず困惑に染まりかけた表情が、急激に硬化する。彼女の言葉に。あまりにも堂々とした声音と、背中に、胸の痛みは加速する) 駄、目だ。……やめて くれ。……どうして…君が守るべきものは、俺じゃねぇでしょ…。…確かに、選択するのは自分だ。…でも、これは決め付けてる訳じゃなく、て、…なんで、(詰まった息が言葉を発することも呼吸すらも困難にする。まるで水の中にいるみたいだ。大きく見開いた瞳に映した彼女が滲む。凛々しいその姿と言葉に脳裏を過ぎった女性が――) 。(声にならない言葉を代弁したのは、穏やかに微笑む影だった―。「おかあさん?」)
| ――
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なぁ?…オカアサンみたいだ。……うん。あんたも今、心の中でそう思っただろ?…まあ彼女はあの人とは違うから口に出すべきじゃないってことか。…それとも、恥ずかしかった?…理由は色々ありそうね。あんたは考え事が多すぎて、喋りきれないもの。その癖、理解してくれない奴を見下して…結局あんたが好きなのは自分にやさしくしてくれる人間ってことだ(責め立てる言葉の羅列に反して、一言一言を噛み締めるような口調に滲むものは不自然な程の緩やかな温かさだった。皮肉にもその姿は平生の上広優一の其れであり、少なくとも無駄に育った体を丸め震わせて虚ろな瞳に負の感情を凝縮させた男よりは余程“彼らしい”。それが不特定多数の外部に見せていた仮面の姿だったとしても、――これではどちらが影か分からないね。影は笑う。一歩、二人の方へ踏み出して)でもそんな“出来損ない”でも愛してくれるのが母親だもんな。こんな僕をあいしてくれたヒト。守ってくれる人。……女は強いよね。…こわいこわい。……だから、スキ?…違うか。それは、ウソだもんな。本当はスキじゃないものね?(あはは。大人びた穏やかさは笑顔に弾け、幼さ故に虫を殺す子供の残酷にも似た“無邪気”を纏う。横目に少女を見る黄金は柔らかくとも明確な狂気を溶け込ませて――また一歩。近付いた。視線は再度項垂れる青年へと戻り、その醜態を笑う)大体ねえ…いつまで世界を、自分を諦めてるつもりだ?もういいよ。…素直に「助けて」って言えよ。…女の子にそんなこと言えない?あんたにとっては…自分を満たす道具でしかないん…――(開いた唇が一寸の間を空けたのは、頭を垂れていた青年の足に力が宿ったことを視認したからだろう。ふらり。覚束ない足取りで青年が影へと歩み寄って行く。その手に拾い上げた銀を携えて、そして―――少女の横を通る最中、その銀色は彼女の手に無理やりにでも押し付けられるのだろう。影は笑う。例え少女が制止しようとも、男の力で其れを振り払う青年を。心底可笑しいと言うように)…うん。……ねえ、当真さん。あなたは僕をどうしたいの。…救ってくれる?そんな気持ちが本当にあるのか?……自分を傷つける“男”を、 なあ、……「玄ちゃん」(紡ぎ出した彼女の名前を呼んだのは誰だった?――一人しか居ない。影の指が青年へ伸びて、青年の腕が影へと伸びる。抱擁と呼ぶにはあまりに生々しく不可解な光景は、彼女の瞳にどう映っただろう。沈黙を守り背を向けた青年と反し、少女に向き合う影は何処までもやわらかく、笑っている)
| …なら、俺があんたを欲しくなるよう努力したら?拗ねるより生産的だろ。
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(当真から遠い存在の名を紡いだ彼の意図は掴めぬまま、困惑に支配される頭で分かりかけた事があるとすれば、彼が当真を透かして見たものは、女、母親――?“出来損ない”を”愛す“、”母親“聞き覚えのある言葉の羅列も彼と当真では行き着く意味が違うのだろうが、そもそも彼の悩みなど知らず、知りたいとも思わなかった。人の内側に踏み込むのは、同時に自らも深みに嵌る行為。だから彼を”他人“と名付けたはず)なのに、…なんで俺は、(彼が消えたら嫌なのか。視線の先、饒舌と笑みを重ねるは後方で震える小さき青年よりもはるかに見慣れた彼の姿。柔く笑み、軽い調子で想いを並べる彼が、抱えた闇。その奥、鬱然とした秘めたる場所は、安易に手を伸ばしていいものだったのか。一抹の後悔が汗となり、頬を伝う。戦うと決めたのに、詰められた距離、邪気の無い声から曇りない感情が真っ直ぐ突き刺さり、その狂気に取り込まれそうになる。それでも武器を構えねばと地面を踏みしめた直後、背後で気配が動く。近づく彼の足が隣で止まるなら、そう、一瞬抱いた淡い期待も虚しく、そして当真の想いは手中に回帰する。金属の無機質な温度が、冷たさが、まるで彼の心のようで。制止の声も虚しく、通り過ぎる。背を預けた彼に、追い越されていく)どうしたい、…なんて、ほんとは俺が聞きたいんだ。…わからない。………ただ、あんたが消えたら困る奴が居る。(振り払われた手を再び伸ばす。「俺だよ。」象る唇が、音もなく。行くな、乾いた喉が叫ぶ――息を呑む。異様な光景には慣れたはずの目が驚きに瞬き、虚空を掴んだ手から零れた召喚器が、かつんと小さく音を立てた。影と彼が溶け合うように、ひとつに、重なり。全てを見透かすような三日月が、今、不思議と悲しげに映る。――「玄ちゃん」聴き慣れた声で紡がれた名前はまるで本心を問うように、理由を求めるけれど)………きっと、俺じゃあんたを救えない。だってまだあんたの事、何も知らない。(――嗚呼、そうか。自嘲の色を濃く残した吐息と共に武器は地に落ち、拾い上げた銃を定位置に戻せば燃える瞳から焔が消えた。理由なんて要らない。理由がなくても居なくなったら困るのが、“ ”なんだ。其処には彼も含まれる。当真は間違えたのだ。きっと、消えるべきはどちらの彼でもなく、)けど……見捨てない。約束する。(受け入れるべきは、どちらの彼もだ。出来ない約束はしない主義。そんな当真の生き方が彼の信頼に足ればいいと想いながら、ぎこちなくも返した微笑みは本物で、)…それじゃ、足りないか?
| あー…じゃあ参考にお聞かせ下さいな。好きなタイプは?
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(光に垣間見た、一人の女性。彼という自分が口にした言葉に瞳からは危うく何かが零れそうになった。自分自身の本音はどうしようもない。そんな“彼”に向けて反抗の拳の一つも振り上げる気は起きず、あろうことか伸ばした指は其の細い腕を掴むんだ。通り越した彼女の表情はもう見えなくとも、目の前で機嫌良く微笑む男の顔を見るに平生の乏しい感情表現ではない顔を――恐らく喜楽とは程遠いものをしているんだろう。耳元では喉を鳴らす軽快な音が聞こえる。自分のことだから。きっとそう。『ごめんねイヤな質問だったね。マサヒトくんはよく喋る癖に肝心なことは言えないんだ』彼女に話しかけているようでいて、その声音は確実に自分に突き刺さる。卑怯な言葉にそれでも真摯に応えてくれる彼女に、――彼女になら。そんな淡い考えを浮かべた脳を押さえつけるように撫ぜられた髪が額に垂れて視界を覆う。まるで目隠しでもされてるみたいに。―――けれど)――…ぁ。…っ、 は、…はは。あはは…。そう、だよなぁ……知らなきゃ…分かる訳、ないもんなぁ…(気づいてしまった。聡明な頭を自負する癖に肝心な所で詰めが甘いのが酷く自分らしい。本当に世界を阻みたいのなら、目を閉じて、唇を引き締めるだけじゃ駄目だった。耳を塞いで、何にも触れないようにして、身動き一つ取れなくして―――それが出来なかった理由は勇気がなかったから。誰とも関わらず、ヒトリになる勇気がなかったからだ。――泣き笑いのような弱弱しくも円かな微笑が先程までのものとは違う体の震えを生じさせた。それでも彼女の方に向き合うことが出来なかった。背に回された腕が、孤独に震える体がまだ、此処に在る。『まさひと。どうする?…ウソかも。人は簡単に信じちゃいけないものだな?取り分け女は…うん。どうしよう。ねえ、 どうしよう』)――…それ…本当に、…ぜったい…?(幼子が母親に甘えるような声音は青年の肩口で僅かにくぐもる。いつの間にか笑い声は消え失せて、横目に見上げた影はただ真っ直ぐに少女の顔を見つめていた。こわいくらい真剣な顔。その黄金に映る彼女の唇が描くものに堪らず振り向いた顔が、ぐしゃり。歪んだ)――……た、りない わけない…だろ(影が囁く。『ほら。バカは誰だった?』)……目ぇ覚めてきたよ。……玄ちゃん、もう少し……僕を見てて。…見捨てないでいてくれる?
| ……そこは素直に引き下がれよ。………過去のデータがないから、統計がとれない。
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(少し昔を思い出した。奇妙な体験を重ね始めたばかりの4月、初めて背を預けたのは彼だった。――二人で言葉を重ねたのはその時一度きり。この場に相応しい人物は他に居ただろうに。戦うべき相手を失い、空になった両手を握る。当真じゃ彼を救えない。立てた爪が、肉に食い込む。それでも彼が望んでくれるなら、否、望まずとも、彼を“ ”と呼びたいと願ったから。頑なに守り続けた誓いを破らんとする事に震える拳をゆっくりと開きながら、前へ伸ばす。長きに渡り最も大切なものを守る為だけに使ってきたその手を、今宵は彼の為に。そう決めたのは、自分自身だ)…そう、本当に、絶対。(縋る声、彼の中に見えた過去の欠片、それを認めてやれば己の傷も和らぐだろうか。安心しろと頷く瞬間、脳裏に過ぎった利己的な思惑はむしろ建前で、振り返る過去、彼に投げかけた言葉の数々に伴う音の中で最も円い響きは純粋に彼を知りたい心の現れ。彼の深層に触れる、それは自らに填めた枷を外す行為。いずれ痛みを伴う行為だと分かりながら、雁字搦めから抜け出た足は、歩み寄る足は止まらない)…約束だって言ったろ?…(一つ、錘を載せる手を叩くことはもうない。合わせた視線を逸らすことも――暗く深い黄金と、艶やかな淡い緑。四つの瞳に映る姿を認め、驚くほど素直に落ちた声はちゃんと彼に届いただろうか。影時間、頭上で煌々と輝く満月の他に二人を見つめる者はない。邪魔者の居ない世界、吐息の如き小さな声も、些細な表情の変化も、何でもいい、)………俺もあんたのこと、ちゃんと知りたいと思うよ。
| あらま。じゃ明るくて優しくてイケメンな感じとか…どう?
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…そうか。君がそう言ってくれるなんて、うれし……うん。ありがとう。じゃ…話すね(絶対。約束。普段なら流してしまう些細な言葉すら、心に熱が篭もっていった。心臓から血液が送り出されるのと同じように痛みにも似た疼きが全身を駆け巡る。取り分け脳に昇る熱い血潮は思考を妨げる煩わしい鈍痛となり、神経を刺激した。痛い。でも彼女の言葉は優しくて、 知って欲しいと思えたから。――小さく息を吸って、吐いて。数秒ほどの間を空けて開いた唇からは低く篭もった声音が零れ始めた)……俺の両親…母親も父親も……すっごく運動神経がいいんだ。スポーツ一家の出で…所謂サラブレッドって言うのか。本物の…それこそ世界で1位になった位の人たち。…名前はね――、(同じ姓を持つ女性らしき其れと異国を感じさせる横文字。誇らしげに、そしてそれ以上に哀しみを含んで笑う青年の両親と思しきその名詞は、幾度もマスメディアに名を列ねた高名。「メダリストだよ、知ってる?」――遠き日を思い起こす双眸に灯る寂しげな色は、俯き乱れた髪に隠されて)そんなトップレベルの二人の子供はさぞかし優れたハイブリッドになるだろうと…オトナ達はとっても期待したんですよ。勿論、親も「俺達の子供だから」って。……生まれた男の子にスポーツをやらせたら……その子は少し不器用だった。でも他の子に比べたらやっぱり優れてたし、其の頃はまだ…まだよかった。でも大きくなるにつれて………ね。…おかしくなった。負け始めた。…段々、何をやっても誰とやっても、勝てなくなった。……次第に皆、気づいたんだ。「この子は駄目だ」って。………男の子も、ちゃんと…気付いたよ。「俺はだめなんだ」(遅すぎたけどね。あの頃はまだバカだったの。子供だったから。――言い訳染みた、或いは冗談染みた口振りの節々に刺さった棘は自分自身を傷つける愚かさを以て――それでも、歪む唇は言葉を紡ぐ。自分を、知って貰う為に。――壊れそうな心臓の上、衣服を握り締めた指先が視界の端で白く染まる)そ、したら…ある日、言われたんだ。…生涯忘れられない。―――……「君は本当にあの二人の子供なのか?」……僕、死にたかった。この時は本気で、……僕の所為で二人がって、申し訳なくて、…存在自体を否定された気が、し て、……結局、父親には見捨てられちゃったよ。でも母親は…見捨てなかった。そもそもあの人は出産で引退してたから…俺しかいなかったのに……、おれしかいなかったから、見捨てないでいてくれたのかな……わかんねぇけど。………二人の名前を汚した俺は一番を、他のものでも一番を取るしかなかった。…だから文字通り寝る間も惜しんで勉強したよ。…ずっと…すきでもないことを、バカみたいに……んで、…今の学年トップ超優秀な上広まーくんが居るっつーこと。……微塵も面白くない話でわりぃね。普段の俺は基本的に面白い筈だから、許して?…はは(些細な笑い声。空元気に見えるだろうか。それでも、笑わなければ 泣きそうだった)
| …どうって…別に。……嫌じゃないけど。
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(洞洞とした彼の内側、其処から溢れだした声を聞いていた。傍で見守る。ただ見ているだけ。約束通り彼を救う手立てもなければ優しい言葉もかけられず、結んだ唇から時折吐き出す息だけが小さな相槌となる。傾けた耳に意識を集中させ、其処に触れたものが記憶に残る名と一致した際には一声邪魔にならぬよう頷いたが、その後はやはり黙すことに徹し続けた)……。(――痛い。連ねられていく彼の過去、そして今が。自ら傷口に触れ膿を出す行為にも似た姿が痛々しく、心に抱いた痛みを上書きする事など出来ないくせに、無意識に胸に爪を立てた)…ばか、…面白いわけないだろ。あんたがずっと悩んできた事なんだから………面白くないけど、俺が聞きたい話だった。(切欠も道程も異なるけれど、また、彼の中に自分を見た。だから、目を逸らさずに全てを聞き遂げた今、彼に言葉をかけるその声に孕んだ熱は本物だ。一時の同情じゃないからこそ、心が痛かった)…許すとか、…そういうんじゃない。(静寂に響く乾いた音が泣き声に聞こえるのは、想像以上に彼の言葉に揺さぶられた感情がそうさせるのか。泣くより笑う顔の方がずっと痛い。そしてこれから行うのは多分、彼への思いやりでも何でもない己の傷を舐める行為で、自己満足の塊だと分かりながらも枷の外れた足は心の欲するがままに動く。大丈夫だと言ってやりたくて縮めた距離の先、歪な笑顔を作る彼の後頭部に回した腕。望まれたからではなく、自分で望んで動く手は力強く、彼の頭を抱き寄せる。振り払われたらそれでもいい。やりたい事全部に許可なんて取っていられなかった)あんたがどんなんでも見捨てないって約束だから。………面白い話がしたけりゃこれから先、いくらだって聞いてやるけど…そういうのじゃなくたって、聞いててやるって約束なんだよ…。(思いやりより利己的で、同情より確かな感情が吐いた、泣けとも笑えとも言えずに重ねた“約束”の意味は伝わるだろうか。当真の心中など知り得ぬ彼には感傷が過ぎた女に見えるかもしれないが、彼の葛藤は彼一人のものではなく、いずれ向き合うべき己の欠片。だからこそ、)…俺じゃあんたは救えないし、この先どうしたら良いってのもわからない。……それでもいいなら、此処に居るから。
| ………え、と……じゃあ俺、玄ちゃんの第一号に立候補しとくかなァ…。
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(吐いた痛みが産み出した新たな痛み。延々と続く頭痛も、とても名称なんて付けられない胸の痛みも、兎角イタイと叫びたくなる程の痛烈な刺激を伝達する。気丈に微笑む唇が必死に押さえ込んでいるだけ。抱えた仄暗い深層を口にした今ですら失えない仮面は、 仮面だと思っていたソレは本来の自分でしかなかったらしい。彼女が紡いだ「ばか」の響きに、平生なら何を言われるよりも許し難い筈のその言葉に、緩んだ頬を自覚する。きっと今の自分はひどく幸せそうに微笑んでいるに違いない。彼女の言葉に込められた感情の誠実さと率直さ。自分にはないものだからこそ、心動かされるものがあるんだろう。――いいなぁ。ほしいなぁ。――逸る胸はいつだって欲望に忠実だったのに、押し込める心が“諦め”という感情で蓋をした。自分に出来ないことはやらない。意味がない。最初から諦めている人間に何が出来たと言うんだ。段々とクリアになっていく思考回路は、ただしく自分を傷つける為に、正常に働いている)……俺…戸惑っちゃうよ。そんなこと言ってくれたのは、君だけだ。…やさしい人なんて沢山いた筈なのにね(それともただ優しいだけじゃ駄目だったのか。自分も含めて。嗚呼、何が聡明なものか。磨り硝子の双眸も、あらゆる箇所が遮断された脳髄も、ただただ現実から逃避していただけだろう。“諦め”じゃなかった。逃げだった。格好をつけて、大人ぶっていただけ。――そうだ。散々かけられた問い。誰よりもバカだったのは、自分を否定し続けた自分だ。少女が一歩、此方に近付くと、背後で影が身を引いた。その唇には嘲笑と呆れを交えた微笑が広がっている。『世界は広いんだよ。…まーくんのおバカさん』――振り向かなくても分かる。愛に満ちた罵声を最後に薄れる彼が重なり、自分の中へ帰ってくる。ただいま。おかえり。自分を可愛がりすぎたから、なにより自分が憎かったんだな。本当にばかだな。)………なぁに…こんなことして……甘やかしてくれるの?(的外れな言葉も震える体も全てを包み込む柔らかな感触は、幼き日に感じた温もりにも似たナニカ。されるがままに少女の肩口へと埋めた顔は、その指が自身に触れるその瞬間までは何時ものように微笑んでいたことだろう。けれど、ああ、まるで魔法のように。触れた指先に歪んだ顔が作り上げたものは、穏やかな微笑なんてやさしいものじゃない。心底嬉しくて堪らなくて、だからこそ泣いてしまいそうになる程の、笑顔だ)……うん。見捨てないで。…ありがとう。……じゃあせめて俺は、君にだけは絶対嘘を吐かないようにしようかな。…俺も、約束。……のハグさせて。とりあえず(いつの間にか硬く結んでいた拳は解けて、鋭い爪の痕を残す掌が少女の背に回される。その腕はどんなに僅かでも抵抗があれば離れていくような柔らかい力をもって少女を抱き締めた。その感触は、やっぱり)……救えない、かな?…君が認めなくても、玄ちゃんが女の子である限り……俺はたぶん、救われるところがあると思うよ。…だから、居て。出来れば隣に。……呆れながら話を聞いて、たまに…笑って?…じゃれつく俺を叱ってよ。やさしく。……うん。今はそれでいいかな(「…よし。帰ろうか。美鶴さんが心配してるだろうし。君の任務も遂行しなきゃな」――流石の上広でも拭い切れない気恥ずかしさに速まりがちな歩み。身に受ける光に誘われるように見上げて天空に、奪われた目がその速度を急激に緩めた)………月、きれいだね。(滑り落ちた純粋な言葉におまえは何処の大先生かしらと笑う。夜空に向けて翳した手。指の隙間から降り注ぐ月明かりの眩さに細めた瞳が、その柔らかな光を反射させて、きらきらと輝いていた)…アレ、欲しかったなぁ…。……でも今はもう、もっと欲しいものが出来そうだよ。…ザンネンだ。……アハ。帰ろ。今日は君のお陰でぐっすり眠れそうだなぁ。あ、すげぇ今更だが…夜道には気をつけないと。ここからはちゃんと俺が守るから、安心してな?(間近で覗き込んだ貌は上機嫌に、無邪気な微笑を象って言葉通りに少女の隣で歩調を合わせる。世界を見つめる目と、傍らの少女を見つめる瞳。磨り硝子の双眸は相も変わらずぼんやりと色んなものを見つめているけれど、その中心に確かな光を宿して真実を求め始めた。――世界の。或いは、彼女の―――?)
| ……?……俺の理解を超えてるんだけど、…もっと分かりやすい言葉、ないの。
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…俺だって、こんなこと言ったのはあんたが初めてだ。…それに、優しいだけは、きっと俺には向いてない。(無我夢中で進めた足が、二人の距離をゼロにする。指先が触れる瞬間、崩れそうな視界の外で彼と彼が一つになった。初めて見る“本当”の上広優一は今の当真には大きすぎて、抱き寄せた彼の体ごと、心まで支えるには力不足に違いないけれど)……今だけな。(肩にかかる重さが心地好かった。彼の為に差し伸べた手が知らぬ間に自分の為のものに変わり、夜露に濡れた若葉が陽を浴びて光る様を見たいと、撫ぜるように彼の柔らかな髪に指を滑らせ――再びその目で捉えた緑色は想像以上に艶やかで、自分自身を受け入れた未来を映す彼の瞳はきらきらと輝いていた)……言っとくけど、俺とする約束は重…――……っ…(笑顔に奪われた目に導かれ抱いた安息は束の間、ゆっくりと彼に包まれる感覚に言葉を失った。全身に広がる感触は遠き日を想起させる優しさで、思わず彼から離れた手が行き場をなくし、最後には自らの口を覆うように落ち着けば、)…こ、後悔するなよ。………今の、指切りより重い。取り消しなんて出来ないからな…。(照れくささが尾を引いて、滲む喜色を堪えて吐き出す声は想像よりも小さな音と成る。この先彼が今日の約束を後悔する時が訪れようと、約束は絶対だ。だから、此方が交わした約束もまた、絶対)…ソレ、オンナノコなら誰でも良いみたいな言い方。………けど、まあ…隣には居てやるよ。あんたが傍に居る間はな。(共に過ごせる日々はそう長くない。時が経ち、環境が変わり、関係が変わる。想像に難くない未来だ。それでも、彼がその先もと望むなら、また約束すればいい。何度でも。――もうすぐ影時間が明ける。闇色の街に光射す満月が大きな道しるべにも似て、今宵ばかりはそれを頼りに帰ろうか。「そうだな。…それに今日はもう、疲れた。」言いながらも長さの近いコンパスは並行に適していて、平生よりも速いテンポで刻まれる彼の足音に自らのそれを重ねて歩くのも苦ではない。下手すれば追い越す事だって出来る当真はやはり、ただの可愛らしい女の子では居られなくて)……随分とロマンチストだな。(唐突にリズムを崩した彼の横を一歩多く通り過ぎてのち、振り返った其処に落とされた言葉の意味を察しあぐねては、ほら、つれない意見を返してしまう。だけど仕方ない。彼を真似て翳す手のひらの向こう側より、望むものはすぐ近くに沢山在るのだから)…俺も、欲しいものが増えたんだ。(掴んでも何も残らない宙を握り締めて静かに下ろし、一番欲しいものを想えば潰えるべき願いだと知りながら、仮面を外した素顔で笑う。そうして細めた視界を満たす彼の瞳は明るく、やはり月より此方の方が余程良いと)…まあ、俺を庇って死んだら骨は拾ってやるよ。(素直にうんと言えずとも、了解の意を告げる軽口は彼への信頼を携えて歩き出し、彼と揃えた足並みが紡ぐ音はやがて穏やかな心音に重なる。――満たされた心はしかし、時に流され、頭上に浮かぶ月と等しく欠けていく。誰かに向ける心の数だけ、掲げた両の手のひらから大事なものは溢れ落ちていく)……。(残された時間は、あと僅か)
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9月5日 満月の夜 | |||||
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……待っ、(常軌を逸した狂気に触れ肌が粟立った。一驚を喫し脳髄で鬩ぎ合う衝動は社会的道徳に所以する追走欲求か保身に所以する逃走欲求か、髄奥から肢体へ送る反射は大仰な緊張ただ一度。合わせ鏡に追われ駆け出す仲間たちを目前にして漏らす弱々しい一声に効力など無く、かといって現状で次ぐべき行動を弾き出せるのならば反射が反射たり得たろうし、そも優柔不断に気を揉むこともなかったろう。現状打破の指示をたれかへ委ねるべく”為す術もなく”を弁明材料として胸裏へ落ち着かせる時分、気概に満ちた一声が耳殻を打った。自律性を欠いた女へのその一声の効力たるや計り知れまい。粛々と諦念へ向かう心は彼の一喝に導かれ優先すべき情操を選び得て、女が一足遅れて駆け出すまではまだ容易かった。)どこー?!ねえ誰か居るー!?居たら返事してー!(黒緑の闇を煌々と照らすおおきな満月。不気味さを所以とする不快感は拭えぬものの数を重ねれば嫌でも働く慣性にもはや影時間への恐れは消失寸前。だのに皆目見当もつかぬ仲間の行き先を探るべく張り上げた声だけが響く静謐さが妙に焦燥感を煽る。こわい。コワイ。怖い怖い怖い怖い怖い、胸騒ぎを掻き消すべく只管に地を蹴り息を弾ませながら、己を導く通信に従って双眸は彼だけを求める。)……赤萩センパイ?………っ!!(幾分の時を経たかは分からない。双眸が捉えた”何か”に近付く動作は一転して緩慢に、彼だと判断し得る範囲まで距離縮めれば慄然に短く息を呑んだ。)………ね、ねえセンパイ大丈夫?…………あ、またシャドウが〜とか言うんでしょ?……ね。言うんでしょ。分かってるんだからねセンパイ、ねえ、…………ねえったら。起きてよ。起きてったら!(妖艶なるネオンの元目の当たりにした変貌は未だ記憶に新しく、地へ身を委ねる彼へ駆け寄るに懸念が無かった訳でもない。一瞬とはいえその合わせ鏡が先と比にならぬ禍々しさを孕んでいたから、急に目を覚まして手をかけられようものならと恐れが妄想を働かせぬわけでもなかった。両膝を地に肩へ触れる指先は遠慮がちに、かける声は緊張にうわずり口早だ。―――重たい。人並みの温かさは残るがいくら触れても反応を示さないその肢体に、月明かりを受けやけに美しいその相貌に血が凍る。急ぎ指令塔へと辿々しい現状報告と救助要請とを送り到着を待つこととして――その間思い描く最悪のシナリオが、じわりじわりと胸裡を蝕む疼痛が、情操を留めおくだけの理性を決壊させた。)赤萩センパイ、ねえ起きてよぉ、わた、………わたしコワイよっ、………〜〜〜っ(厚く張った水膜に溺れた眼孔は、塞き止められぬぶんだけその熱さを地へ落としてゆく。思えば狂気に満ちたあの瞳よりも歪に弧を描く唇よりも、瞼下ろし何の感情も読み取れぬ顔貌のほうがずっとずっと恐ろしい。――もう少し早く見つけることができていたら。もしあん時直ぐにでも追いかけられていたら、何かが変わっていたかもしれないのに。例え忸怩たる思いに苛まれたとて己を顧みたとて巻き戻しやり直すすべなど無い。とどのつまり女が取れる行動はただひとつ。”そうなる運命に決まっていた”のだったと、そう結論づける他ない。)……めい………そ…いう、うん……だから………じょうぶ、だいじょうぶ…。(唱える文言は魔法の呪文の如く、延々と繰り返す文言は彼女が到着し途切れてから指令塔と辿る帰路というもの、少なからず今晩ばかりは雑談に唇を割る余力もない。――同じ寮に、同じ部に身を置く者同士だが交友関係が篤いとは言えぬ間柄だろう。それでも、出来ることなら彼の彼たる所以をこの目に映してみたかった。願わくば彼自身の意思で、”立平奈南”をその瞳に映して欲しかった。) |
【Event6終了】 | |||||
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>…!? >…頭の中に、不思議な声が囁く… 我は汝…、汝は我… 汝、”愚者”のペルソナを生み出せし時、 我ら、更なる力の祝福を与えん… >”特別課外活動部”のコミュのランクが”5”に上がった! >ラヴァタの言うとおり、今回は思いがけない試練となった… >これから先、どうなってゆくのだろう… >……。 >…身体が疲労している。とにかく、今日は休もう… |