2018年5月中旬
(帰り道にふと思い出したのは、いつか見た赤々とした夕焼けと「夕焼けは晴、朝焼けは雨」という言葉。──こういうのを天気俚諺というらしい。教科書にも載っているらしいが、らしいらしいと連ねることしかできないのはそんなものをまともに読んだ記憶がないから。そういえば、なんで夕焼けだったら晴れなんだ?)…あ、もう着いた。やっぱすぐ近くが職場なのって楽だよな。(思い出すより先に目的地に辿り着いたなら答えは彼に聞けばいいと帰結する。伝手を頼り、病院の目と鼻の先に勤めるようになって二月が経った。広大な敷地にはまだ慣れぬものの、面倒見のいい上司もいるおかげでなんとかなっている。)──入り口を入ってすぐ、正面にある1階の受付で面会希望者は記名をする。それから左手の階段、あるいはエレベーターで病室に向かう。(肉体労働でくたくたの日だってエレベーターは使わない。たった数回ボタンを押すだけの作業を厭うて足を使う毎日だ。)病室は301号室。階段を上がって左。手前から順に303、302、(そしてほら、301号室。4人部屋の入り口にはネームプレートが3つ。近づくとそのうちの1つが見覚えのある名前になって安堵する。もう何度も繰り返した手順を守ることが唯一の導であり、平静の在処だ。)…じいちゃん?(一番奥、向かって右側のベッドに声をかけつつ、カーテンの端からそっと顔を出す。隣接するベッドと足元のみ遮断するようL字型にカーテンが引かれている時は起きている証拠。リクライニングしたベッドを背もたれにして新聞を読んでいた祖父が「よく来たね」と微笑みながら背を浮かすと、窓辺から差し込む夕陽が張りの失われた弱弱しい輪郭を赤く縁取る。白いシーツもぼんやりと燃えるようで、それだけで日が長くなったと感じられるほど祖父の入院は長引いていた。術後の経過が良くないらしい。「迷子にならなかったかい?」毎度おなじみの台詞に苦笑しながら、)だいじょうぶだって。言ったろ、もう何回も来てるんだから一人でも平気だって。(ちょっと気を抜けば簡単にプライバシーを筒抜けにするカーテンに区切られた小さな一角、声を潜めたのは配慮というより癖に近い。)──あ、そういやさ。昔じいちゃんが教えてくれたことわざあったじゃん。夕焼けの後は晴れるってやつ? あれってなんで? 明日晴れんの?(しかし周囲に人がいないとあれば、近況を伝え終える頃には軽やかな笑い声が散らばった。「ああ、それはね」語りだす祖父の話は以前教師をしていたというだけあってわかりやすい。なにも夕焼けだったら必ず晴れというわけではなく、夕焼けに雲が含まれているかどうか、その雲の種類が重要なのだと言う。窓の外には空全体を覆う帯のような雲が広がっている。)へえ、あれはコーソーウンって言うんだ。そぼろぐも? え、おぼろ? ふうん……って、じゃあだめじゃん。(つまりは晴天どころか荒天の兆しということだ。)まじかあ……久しぶりに洗濯しようと思ってたのに。(納得と不満を同時に吐き出せば、「観天望気もいいけれど、ちゃんと天気予報を見なさいよ」とごもっともなことを言われてぶう、と不満の方が長く伸びた。「しっかりなさい」と笑う祖父のまなざしは変わらず優しく、けれど落ちくぼんだ目の周りには病魔の影が色濃く残る。いずれ来る現実を浮き彫りにする昏い溝。真正面から見るのは少し怖い。だから赤い西日が目を眩ませてくれたのをいいことに瞬きを繰り返してのち、眩しいからと窓のカーテンを閉めるべく立ち上がる頃には夕食の時間になっていた。)じゃ、また来るよ。じいちゃんこそ、ちゃんと飯食えよな。(仕事終わりの日課を終えて、病室を出たらまずは深呼吸。矢印に従って階段へ行き、1階まで下りるだけ。帰りの方が気は楽だ。出入り口はわかりやすい。外に出るとまだ空は薄っすらと明るかった。)明日は雨かあ。(薄明の刻。誰も待たぬ家に向かう道中、踵を潰すように踏みつけて脱いだ靴の片っぽを気まぐれに放ってみる。)──…やっぱりなあ。(さほど飛ばず道端に落ちたスニーカーは、底が上を向いていた。)
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