（まだ梅雨入りさえしていないというのに、ここ最近の空模様は気まぐれで仕方がない。上階のベランダから滴る雨粒に眦をヒクつかせたのも束の間、踵を返し、玄関口へ爪先を向けた放課後の足取りは軽やかだ。静かな雨の音はリラクゼーションのBGMに等しく、常時上向く口角が誰の目に触れるでもないのに平生以上の機嫌を湛えよう。別段、雨を好む性分でも、何か楽しみが控えているわけでもない。ただなんとなしに、憂鬱は幸運の前触れと信ずるがゆえに。履き潰した上履きの踵がリノリウムを擦り辿り着いた先、空を見上げ佇むクラスメイトの姿を認めると、やはりフライングの笑みには意味があったといえようか。ペッタペッタ、緩慢な足取りはわざと己の訪れを知らせる音を鳴らして。期待通り振り返る背があるならば、「や、」短い挨拶と共にひらりと黒で彩った指先を揺らしてご挨拶。）今日は予定があるんだって小走りで教室を出てったのに、残念だったねえ？（音にこそ成らずとも、ニタりと厭らしさ孕んだ笑いは彼女の気に障るには十分であったらしい。ムッと顰められた眉に、また眦がささやかな震えを見せる。尤も、ひとを選ぶ態度を取りがちな己ともわりあい気の合う相手であれ気付かぬ程、些末なそれであったけれど。それはそれとして、揺らした手をふたつに増やし、高さも凡そ胸の位置まで引き上げたのなら挨拶は否定へと姿を変えたはず。）ヤだなぁもう、イヤミじゃないってば。落ち着いて落ち着いて～。（肩に掛けた黒革のスクールバッグを開けば自ずと彼女にも期待が宿ったか。ぱちりと大きな双眸がまばたくと同時、「持ってんのぉ？　傘！　貸してくれる流れ～？」溢れた甘ったるい猫撫で声に、ぷはっと吹き出す男の笑声は軽やかそのもの。ねちっこさなんて微塵も孕まず、天気に反比例するかのような晴れやかな笑みですらあったかもしれない。――ん、一文字に引き結んだ唇で傘を押し付ける心持ちは、お気に入りのアニメーション映画のワンシーンを模す愉快さを携えていた。）サナちゃん、実はけっこう俺の貴重なトモダチだからね。……なぁんて、貸し1な。明日アイス奢ってくれたらチャラってことで。（遠慮の欠片を目敏く見つけたから、先手を取ってその背を押すとしよう。青い折り畳み傘を握らせ、ぽんと肩を叩く手はそのまま彼女の身を翻そうと誘導を試みる。音階は違えどゆるいリズムで以て重なるふたつの「バイバイ」が雨音に混ざった先は、きっと明日の「おはよう」へと繋がるのだろう。――不真面目で不誠実、真意を曇らせる言葉ばかりが口を衝いて出る。個としての輪郭を暈す男の評価はけっして良いものばかりではないけれど、これでも、こうして誰かに世話を焼くのが存外好きなのだ。）